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REBORNの歩みを振り返る
産む人と医療者をつないだ20年間

第2回 紙とウェブを使った活動の広がり

お産のネットワークREBORN では,ニューズレター『REBORN』(のちに『紙REBORN』に引き継がれる)の発行,会員制メーリングリスト「お産のお鍋」(2000年〜),ウェブサイトREBORN(2001年〜)の立ち上げと,さまざまな媒体で産む人と医療者をつなぐ場を提供し,情報を発信してきた。
1993年から今にいたるまで,紙媒体とインターネットでの20年間の活動について振り返ってみたい。

 


 

『REBORN』と『紙REBORN』の17 年

三好菜穂子
編集者

「ミニコミ」がつなぐお産のネットワーク〈1993〜2000年〉

1993年9月,優しいお産をめざす情報『REBORN』(季刊)は産声をあげた。表紙には,「お産は母と子が主役。同じ思いの人,日本中でつながろう。そしてもっと大きな輪を作ろうよ」とある。インターネットがまだ一般的ではなかった時代,ネットワークを作るには,こうした「ミニコミ」* はなくてはならない媒体だった。
国内外のお産に関するトピックや取材記事,講演録,インタビュー,グループや人物の紹介,お産イベントの告知,おたより紹介,スタッフ・会員の著作をはじめとする出産本の紹介(のちの「お産図書館」)等々,わずかB5判16ページのニューズレターには収まりきらないほどの情報が毎号掲載されている。
10号(1996年1月発行)からは,1 つのテーマについて無作為に選んだ会員(一般,医療者)に,スタッフが直接電話インタビューをする「突然!電話&インタビュー」を開始。
第1 回目のテーマは「会陰切開」。WHO 勧告では,「慣例的な会陰切開は正当ではない」とされているが,実際は日本の約9割の施設で行なわれている処置について,REBORN 会員はどう考えているのか。その後も「陣痛促進剤」 「母子同室」 「お産の体位」 「夫の立ち会い」 「母乳」「出生前診断」「お産情報」と続き,時には「クローン羊」「ダイオキシン」「男性助産士」といった時事問題もテーマに上がった。

「REBORN の○○と申しますが……」。タイトルに偽りなしの突然の電話にもかかわらず,会員の皆さんには快くご協力いただき,長電話になることもしばしば。REBORN を応援してくださる会員の“生の声”を聞くことができた貴重な体験だった。助産師からは,施設方針や医師の一声によって不本意な処置をせざるをえない,自分では納得できないが変えることができないといった切実な“内部告発”も多く寄せられた。

「ミニコミ」からウェブサイトのREBORN に〈2001年〜〉

ブロードバンド化が進み,インターネット環境が整ってきた2000年10月,ニューズレターの『REBORN』は29号をもって終了し,21世紀最初の年,2001年にウェブサイトに完全移行した。実は,1996年12月から出産・育児のウェブサイト『babycom』(http://www.babycom.gr.jp/)内で記事の一部を公開,2000 年元旦からはメーリングリスト「お産のお鍋」(後半に詳述)も始まり,インターネット移行へのお膳立ては十分だった。年4回発行の紙媒体では情報のタイムラグがあるし,世界中の人が閲覧できるインターネットであれば,会員だけではなくもっとたくさんの幅広い人たちに情報を渡せるのではないか? ──実際,ウェブサイトのREBORN を訪れる人は1日500〜700人,多い日は1000人以上に上った。

ポストに届くREBORN 再び『紙REBORN』発行から保存版へ〈2003〜2014年〉

REBORN<保存版>全2巻。刊行後、寄贈プロジェクトをスタートし、全国の助産過程のある大学、養成機関、および都道府県立図書館、政令市の図書館に寄贈し、お産をめぐる現代史の記録として活用していただいている。
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スタッフも11 人と増えマンパワーを得たことで,2003年5月にはウェブサイトのダイジェスト版として再びニューズレター『紙REBORN』を隔月刊でスタート(13号より季刊に。2010年9月,34 号をもって休刊)。REBORN はグループ,施設会員も多く,施設や学校で回覧やファイリングして待合室に置いていただくという「紙」ならではの需要や要望もあった。何より,インターネット全盛の時代にあってもREBORN スタッフが紙媒体を愛してやまない人たちで,毎号「お産図書館」に掲載する本が多すぎて困るほどの本好き,読書好きが揃っていたのだ。
『REBORN』『紙REBORN』を通して,医療者の方をはじめ,たくさんの方々に紙面に登場していただいた。出産準備教育の大家・シーラ・キッツィンガーさん,性教育者のメグ・ヒックリングさん,疫学者の三砂ちづるさん,臨床心理士の信田さよ子さん,絵本作家の田畑精一さん,元・上野動物園園長の故・中川志郎さん,生物学者の本川達夫さん……。とても挙げきれないが,国内外の多岐にわたる分野の専門家の方たちから,さまざまな切り口で出産,女性のからだ,子育て,少子化等について話をうかがった。とくに,三砂さんの「昔の女性は月経血コントロールができていた」という話は衝撃的で,「和のからだ」として女性の身体感覚を磨くシリーズ企画になった。
子連れ出勤や母親視点の起業のさきがけである授乳服の「モーハウス」の子連れ出勤を最初に取材したのも『紙REBORN』である(「ストレスフリーな子連れカンパニー」『紙REBORN』9号,2004年)。
2013年に20周年を迎え,ニューズレターのままでは散逸する一方の『REBORN』『紙REBORN』を後世に残しておこうという機運がスタッフ内で高まり,2014年4月,2巻併せて868ページにもなる保存版を発行した。
人口減少化が避けられない日本でこれからの出産,子育てを考える時に,近い過去の歴史のなかにもヒントがひそんでいるかもしれない。情報がぎっしり詰まった17年間のニューズレターが何らかのお役に立てることがあれば,これ以上の編集者冥利はない。

 


 

市民グループと医療グループの活動をつなぐ

齋藤麻紀子
子育て支援サロンUmi のいえ主宰

REBORN との出会い

1994年,私は群馬県の鈴木助産院で長女を出産。待合室で助産師さんから「これ読んでみる?」と雑誌を手渡された。1994年1月号の『助産婦雑誌(特集出産・女性支援ネットワーキング)』だった。ページをめくると“同じ思いの人をつなぐネットワーク情報誌の誕生「REBORN」”とあった。ほかにも,出産にかかわる市民グループがいくつか紹介されていた。産み方を問う人たちがいる,助産師の智慧や手技を残そうとする人たちがいる!!! 驚きだった。私は胸が高鳴った。
私は早速,そこに掲載されていた「カンガルーの会」に入会。カンガルーの会は,神奈川県立母子保健センター廃止反対をきっかけに立ち上がった会で,「生まれる力と産む力を信じて,できるだけ自然に出産し,初乳から始める母乳育児を成功させるためのバースセンター設立」を目標に掲げていた。みんな乳飲み子を抱え,おんぶをしながら話し合い,会報を作っていた。そのような市民活動をつないでいたのがREBORN だった。私はまもなくREBORN の門を叩き,1995年に編集スタッフの一員となった。

市民活動をつなぐ

1990年代,当時の母親友達の中では,自然分娩をした私の体験はとても珍しがられた。陣痛促進剤不使用,会陰切開なし,母子同室母子同床,初乳から母乳育児。同じように出産している人にはめったに会えなかった。「看護師さんはいたけど助産師さんは知らない。助産師って何をする人?」という人も少なくなかった。自分と赤ちゃんと助産師の三者の合力ですすむお産は,本能が開花し心身を豊かにしてくれた。この経験をどう伝えたらよいのだろうかと悩み続けていたが,REBORN を通じて,同じ思いの人につながることができた。
『それにしても楽しいお産だったなあ』を出版した「グループSUN」,広島のお産情報誌を発行していた「元気なママたちの会たんぽぽ」,出産体験者のアンケート調査をしていた茨城の「ぐるーぷきりん」,大阪の「主体的なお産を考える会」,母乳育児支援グループ「ラ・レーチェリーグ」,「陣痛促進剤の被害を考える会」「自宅出産ねっとわーく」「自然育児友の会」「横浜母乳110番」や,助産院を拠点に活動する「つるがおへその会」「まんまの会」「ぶどうの会」など,続々とつながることができた。

市民の声がお産を変える

「第1 回いいお産の日」ゲストのシーラ・キッツィンガー氏の言葉,「市民の声がお産を変える。イギリスのお母さんたちができたのだから,日本のお母さんもできるわよ」。ならば,もっともっと女たちの声を高らかに響かせねばと単純に思った。それには,励まし合いが必要だ。互いの活動を参考にして自分の地域でも真似してみるのがいい! 私はREBORN 紙面で「産む声ねっとわーく」というページを編集し,各会の近況を伝えた。一時期独立して,『くまでつうしん』という市民活動紹介ニュースレターも5年間発行していた。そして,またREBORN スタッフに戻っても,引き続きグループ紹介を綴っていた。2000年ごろまでは,どの会もホームページなどをもたず,郵送で会報交換をして知恵を分かち合っていた。
1998年5月,母親グループ合同で,シンポジウム「ケアを受ける側から助産婦さんへのメッセージ」を開催した。スピーカーは全員母親。お産を守る助産師たちへ,母親たちから要望とエールを贈った。
人と人がつながって声を交わしたら勇気が湧いてくる。勇気があれば真実を伝えることができる。分かち合うそのうごめきこそが,いのちを未来へつなぐ本能であるし,希望だった。時代は移り,あの頃のグループはもうほとんど解散している。今や「主体的なお産」「私らしいお産」という言葉は薄らいでいる感がある。しかし,お産の主役は産む人であることは変わらない。声なき声に耳を傾ける智慧が,未来にも続きますように。

 


 

メーリングリスト「お産のお鍋」とweb-REBORN

三宅はつえ
助産師

それは2000年元旦,REBORN 代表の河合から送信された1通のメールで始まった。スタッフのアドレス帳から集められたメルアドは総勢75名,非公開のメーリングリスト(ML)「お産のお鍋」が始動したのだ。当時はFacebook,ツイッターなどのSNS はなく,ML はたくさんの人が同時に情報を共有し,意見交換できる画期的なシステムだった。
発案と命名は河合で,その由来は「お鍋の具の如く,野菜やお魚,お肉,お豆腐,いろいろな異なる立場の方がひとつお鍋で一緒になること,ぐつぐつおいしそうに煮えたお鍋をつつくように和気あいあいとお話しすることをイメージ」したとのこと。SNS と違うのは紹介制実名登録をとっており,ハンドルネームの書き込みで個人が識別できず無法地帯にはならないことだ。しかし,時には議論が白熱し「お鍋が沸騰した」とか「お鍋が焦げそう」な雰囲気になる。そうなると鍋奉行(ML 管理者,つまり私)の出番となるわけだ。
75 名から始まった参加者も現在は約1100名となり,発言数は1万4700を超えた。入退会の手続きやアドレス変更など,毎日の管理はたいへんだろうと声をかけてくださる方もいるが,ネットワーク管理は好きな仕事なのでちっとも苦にならないからご心配なく。
ML に参加している方々をお鍋メイツと呼んでいる。現在の構成割合は多い順から助産師が約6割,医療消費者・自主グループ所属が約2割,雑誌・新聞などのメディア関係が約1割,産科医・小児科医ほか,医師と保健師・看護師等で約1割となっている。なるべくフラットな関係で意見交換がしたいので,基本は「さん付け」ということにしている。参加条件は「ウイルス対策ができていること」のみ。どなたでも参加OK だ。参加希望の方がいらしたら,REBORN のHP からメールを送っていただきたい。参加方法は読み手専門(ROM)でもよいが,自己紹介だけは早い時期にしていただけると幸いだ。どんな人と鍋をつついているのかわからないと,だんだん闇鍋の雰囲気になってくるからだ。

災害時に威力を発揮したメーリングリスト

ネットワークは災害時にその威力を発揮する。新潟県中越地震の時の「お産のお鍋」の動きを「新潟県中越地震その時お産ネットワークはどう動いたかREBORN のメーリングリスト『お産のお鍋』での動き」にまとめてあるので,ぜひお読みいただきたい。この時の流れででき上がった助産師ゼッケンは日本助産師会に寄付され,その後に日本助産師会オリジナルとしてデザインが一新され,東日本大震災で活用された。
投稿で一番多いのは研修会や学会・シンポジウムのお知らせだ。メディアの方も多いので,テレビ番組のお知らせなどもある。フィールドを共有していることで,取材を依頼されたとしても心理的な垣根を少し下げられているのではなかろうか。妊娠出産を取り巻く新しい試みはいろいろなところで行なわれているが,よいものはなかなか広まっていかない。ML に書き込むことで,多くの方の目に留まり,さらにメディアで紹介されれば全国に波及すると思うのだ。「お産のお鍋」はみんなの智慧が集まる場所として,今後も運用を続けていきたい。

REBORN では現在下記の3つのWeb ページを運用している。ウェブサイト「REBORN」は旧来データの閲覧保存用に,Facebook は新しい情報提供の場に,そしてブックサービスはREBORN はオリジナル本やREBORN おすすめグッズなどを販売している。

最近のトピックは「優しいお産をめざす情報紙REBORN〈保存版〉」全2巻の発刊だ。幻のニューズレターが復刻された。第1巻が440頁,第2巻が428頁でざっと17年の歴史。この間の日本の妊娠出産を俯瞰できる貴重な資料となったと自負している。現在,全国の助産課程のある養成所・大学,国会図書館,都道府県図書館などへの寄贈プロジェクトが進行中だ。

アナログの紙媒体,デジタルのweb 媒体。それぞれの特徴を生かしながら,これからも妊娠・出産・育児情報を幅広くお伝えしていきたい。

 

*ミニコミ:マス・コミュニケーションの反対語としてできた造語で,少数伝達の自主制作の媒体のことを指す。

 

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