新潟県中越地震 その時お産ネットワークはどう動いたか |
REBORNのメーリングリスト「お産のお鍋」での動き 文・三宅はつえ |
何かしたい。でも、どうしたら?10月23日17時56分、新潟県中越地方の深さ13kmでマグニチュード6.8の地震が発生。川口町で最大震度 7を観測した。刻々と伝えられる被災ニュースに「何か支援をしたい。でも何をどうしたらいいのだろうか」 多くの人々は、きっとそう思ったことだろう。 REBORNでは「お産のお鍋」というメーリングリストを主宰している(以下「お鍋」と略します)。600名を越えるメンバーには医療消費者も医療者もいて、それぞれが別のグループやネットワークにも参加している。この「お鍋」でどのような動きがあったかを軸にしながら、今回の震災で学び得たものは何なのかをお伝えしていきたい。 母乳の輪が動き出した震災当日、翌日とお鍋は静かだった。あまりのニュースにどうしたらよいか、まだ動き出せずにいた。最初の発言は10月25日、母乳育児を支援している団体ラ・レーチェ・リーグ(LLL)日本の沢潟裕子さんからだった。「台風・地震で被害を受けられた方々へ」というタイトルで、LLL日本のウェブサイトにある被災者の方々へのニュースリリースが紹介された。ここには「母乳育児の電話相談ご紹介窓口をニュースリリース内に設置」とある。また1994年にアメリカ・ロサンゼルス大地震の際に発信したニュースリリースもアップされている。LLLI(ラ・レーチェ・リーグ・インターナショナル)の活動は現在世界66ヵ国に広がり、日本には約40ヵ所の集いがある。国際的な組織の、確かな情報力をそこに見た。 10月27日、遅ればせながらREBORNから震災見舞いを発信した。新潟県やNHKなど、義援金の受付場所のURLを書き込んだ。この時、日本助産師会の災害支援見舞金振込先も書いてみた。これは日助の会員向けに出された案内を、事務局の了承の元、外部公開したのだった。 大きな動きがあったのは10月28日。震災発生からすでに5日がたっていた。バース・コーディネーターの大葉ナナコさんのもとに、長岡の方からS.O.S.の連絡が入った。大葉さんはそれをお鍋に送信した。タイトルは「長岡の方が助産婦さんを求めています」。地震のショックで母乳が止まりかけた女性やお腹の張りがおさまらない妊婦さんたちがいて、助産師のケアを求めているとの内容だった。このメールから、お鍋は加速度的に動き出した。 求める声と応える手まず、葛飾区の出張開業助産師・柳澤美香さんが「いきます!」と手を挙げた。お鍋に参加する多くの助産師が同じ気持ちだったろう。車での現地入りや避難所まわりが可能と聞いた柳澤さんは、キャンプ道具まで車に積み込み準備を整えた。しかし、長岡行きは実現しなかった。震災から日も浅く、現地でのコーディネート体制が整わなかったためだ。妊産婦さんや小さなお子さんを抱えた女性はどこにいるのか。混乱した状況の中では、求める声と応える手を結びつけるのはとても難しいと実感した。 長岡から大葉さんに連絡をとったのは「長岡子育てライン『三尺玉ネット』」の佐竹直子さんだった。佐竹さんは現在バース・コーディネーター研修生でもある。JICAでフィリピンの子育て支援の経験もあり、実は被災地慣れした人だった。 三尺玉ネットのHPをみて驚いたが、人口19万人の長岡市には60近い親子サークルがあり、そのうちの40あまりの会場や活動状況、さらに参加している子供の数までが一覧になっている。この地域力には「さすが新潟」と思ってしまった。
手紙と共に授乳服を連日流れてくるニュースで母子に関するものと言えば、被災地にはミルクや紙おむつが足りないというものが多かった。被災地でも母乳育児をしている方も大勢いるだろう。避難所での授乳はプライバシーなど配慮できないのではないだろうか。 戸外での授乳は寒くはないだろうか。 そんな状況を何とかしたいと、モーハウスの光畑由佳さんが授乳服や授乳用下着を送る手はずを整えた。 光畑さんは第2弾の授乳服を送るにあたり、ホームページで「不要になった授乳服」の提供を呼びかけた。より多くの方に届くように、1枚ずつたたんで袋に入れ、その中に被災された授乳中の方への応援メッセージを入れてくれるように頼んだのだ。送りたいのは「モノ」ではなく「こころ」なのだ。 後日届いた感謝のお手紙の一部を抜粋して紹介したい。 現地コーディネーター登場 10月28日、安否が気遣われていた長岡のお鍋メイト、「元気のネットワークちょび」の佐藤久実子さんからメールが届いた。自宅被害はさほどではなく、長岡での支援活動のバックアップが出来るとのことだった。三尺玉ネットの佐竹さんとも顔見知りとのことで、現地コーディネーターが形となってきた。 同じ授乳中の女性として、居ても立ってもいられなくなったとメールしてきたのは、子育て支援サイト「子育てワハハ」の栗原美幸さん。ワハハのメルマガで支援物資の協力を要請し、それらの受け入れ先には佐竹直子さんと佐藤久実子さんがこれにあたった。ワハハのホームページでは佐藤久実子さんが支援のための地域ネットワークの構築を提案した。被災地での継続的な支援には、地元の方の繋がりが大きな力となるからだ。 栗原さんはドイツに住む中島理恵さんと連携し、ドイツ・マリエン薬局とメディカル・ハーブの取り扱いをしている。被災地の母子の疲れやストレス、授乳の困難を少しでも減らせるようにと日本とドイツの両方から、のべ200パック(約1万4千杯分)以上のメディカル・ハーブを送付した。 新しい支援システム続々10月29日、日本助産師会にて助産師ボランティアの募集が始まった。ご協力頂ける方に、日本助産師会の方で傷害保険をかけるというものだ。現地では長岡の助産師会メンバーが対応窓口を開設し、新潟県支部でも協力体制が整いつつあることを事務局情報として伝えた。 母子整体研究会の渡部さんからも現地入りの報告があった。以前から中越で予定されていた整体セミナーは開催不能となり、下越に会場変更。中越からは身体の不調を抱えた被災者も受講。被災直後よりも緊張感がゆるんだ後の方が、身体の痛みや不調は出やすい。渡部さんは年末年始、中越整体ボランティアを計画した。 10月30日、JALC(日本ラクテーション・コンサルタント協会)、LLL日本、母乳育児支援ネットワークの3団体に関係する本郷寛子さんから緊急リリースとして「災害時の母と子の育児支援 共同特別委員会」設置の報告があった。これは3団体の共同設置で、災害にであったお母さんが安心して母乳育児を続けられるための呼びかけ文を作成・提供。これには「お母さん向け」、「メディア向け」、「援助者向け」の3種類がある。これらの3種類は内容を改変しない限り、転送、転載は自由となっている。さらに、無料の母乳育児相談の態勢を整え、お母さんからの相談にはLLL日本、支援者にはJALCが対応している。また、援助者のための手引きを作成し、その中の『よくある質問集』FAQは、各団体のサイトにも掲載している。 NPO自然育児友の会は国内外に2500名あまりの会員がいる。事務局長の伊藤恵美子さんは日本助産師会の災害支援見舞金受付に対し「会員から母子へ届く援助をしたいという問い合わせを多数もらっている。子育て中の自分たちが行くことは出来ないけれど、もし助産師派遣があるのであればカンパしたい」と伝えた。このカンパは日本助産師会を通じて新潟県支部に届けられた。 「助産師ゼッケン」をつけては?11月4日、ボストン在住のフリージャーナリスト斎藤美幸さんから「助産師ゼッケン」についての書き込みがあった。斎藤さんはギャラクシー賞を受賞した「平成助産婦革命」の制作者(前・福島テレビ)だ。10月30/31日に現地入りした新潟市の助産師・兵頭慶子さんの話の中で「助産師がここにいる」ということを、どうアピールしたらよいかについての提案だった。斎藤さんは「かつて助産師という仕事がまったくわからなかった」母親&メディア関係者として提案してくれた。「できれば『助産師 母乳、育児、産前産後の健康相談』と大書したゼッケンをつけて活動してください」と。斎藤さんは出産を二回経験していたが、仕事として取材するまで助産師の仕事の幅の広さがわからなかったという。助産師ゼッケンをつけて歩けば、いろいろな方に「助産師とは、分娩だけにとどまらない、幅の広い職種なのだ」とわかってもらえると。 助産師ゼッケンの制作は現在進行形だ。自然育児の会とバース・コーディネーターの大葉ナナコさんのもとに集まった募金でこれを作成し、日本助産師会に寄付するという話に発展した。 人と人との繋がりが、大きな力となって動いていく。送りたいのは「モノ」ではなく「こころ」。そしてその「こころ」はより大きくなって戻ってくる。「感謝」という気持ちになって。一連の動きの中で学び得たものは「人の温かいこころ」だった。 新潟の復興は、まだこれからが本番だ。「がんばれ!新潟」 関連サイト<登場順> |
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