実際にカムバックした人は何から始めたの?
どこでどんな仕事についているの?
カムバックを果たした人から、これからチャレンジする人へ体験を手渡すページです
illustration by 平井さくら
自分で出産を経験して初めて助産師の仕事に誇りを持てました
長野県 子育て後5年のブランクを経て病院の産婦人科病棟に復帰
復帰のきっかけは、経済的なことも大きいけど、妊娠・出産を自分自身で経験してみて、改めて助産師の仕事に誇りをもてたし、現場に復帰して妊婦さんと接したいと思ったから。はじめは、旦那を説得する自信がなかったけど、少しづつ分かってもらえるように、話をしました。
復帰にあたり、分娩介助の方法、乳房マッサージについて、を勉強しました。研修にも参加したかったのですが、結局でないまま現場に復帰しました。また、家族、看護学校時代の友人、現在勤めている病院に助けられました。
現在は、病院の産婦人科病棟でパートで働いています。総合病院で、しかもパートだと外来に配属されることが多いと思いますが、お産をしたいと希望したら、病棟に配属してもらえました。おかげさまで、お産にも関われて、とても充実しています。
仕事を始めて3ヶ月が過ぎましたが、5年のブランクがあっても身体で技術を覚えているもんだなー。と実感しています。産科の患者さん以外の科の患者さんも居るので、お産にどっぷりつかっているわけではありませんが、毎日楽しく仕事をしています。人間関係の大変さや、新しいことを勉強したり、その病院独特の決まりごと、子育てや家事との両立、大変なことも多いですが、お産に関わることができて、ほんとに嬉しく思っています。お産の辛い時期を一緒に乗り越えて、新しい命の誕生を迎えたときは、ほんとうに復帰してよかった、助産師でよかったと感じています。
【潜在中の助産師さんへのメッセージ】
復帰には勇気が要ることも確かです。でも、助産師さんを待っているお母さん方は、たくさん居ます。まずは、自分の周りのお母さんたちの相談に乗ることからはじめてみてください。そして、勇気を出して一歩を踏み出してみてください。
「子育てを大切にして」と言ってくれた看護部長さん
宮崎ゆきこ(病院勤務)
子どもがかわいくて離れられなかったことと、気に入った保育所がみつけられなかったことで仕事をやめました。
復帰を決心した理由は、資格を生かして少しずつでもいいから仕事をしたかったからです。復帰後五年は新生児訪問、乳幼児相談などのパートをして、末子が4歳、幼稚園の入園を機に常勤になりました。
一時期、内科病棟にいたこともあり、そこでは看護学校卒業以来の経験で、とても苦労しました。でも帰宅すれば、子どもの世話と山のような家事で勉強する時間がない!!勤務の中で教えていただき、覚えていったことが多いと思います。6か月くらいしてやっと慣れ、仕事が楽しくなってきたことを覚えています。
復帰にあたり助けられた人は、看護部長でした。
「看護婦の代わりは、いても母親の代わりはいない!子育て期間は一時だけなので大切にしなさい。」
「欠勤しても、やめないで」
‥‥と、励まして、さまざまな指導をいただきました。夫は育児にあまり手を出さなかったのですが、学童保育のお迎えで、子どもと手をつないで帰宅することで、育児の楽しさを知ったらしいです。あとは、掃除や片付けが滞っていても気にしないことが大事でしょうか。
そのほか職場の人たち、保育園、学童、学校、かかわったたくさんの人たち、車(通勤と子どもたちの送迎)、組織、助産師会(新生児訪問を始めた頃に入会)、先輩助産婦さんの知識・技術などから得ることはたくさんありました。看護協会のナースバンクでは、就職先を探しました。ただ、再就職セミナーは子どもを預ける場がないためまったく参加しませんでした(REBORN註・中には託児がついているセミナーもあります)。
今現在は病院勤務です。外来に10年目です。減少する妊婦さん 出産世代が変わってきたことを感じます。もっと深く妊婦さんや産後のお母さんとかかわりたいと思うが診療の介助に追われる日々。助産師の存在を知って活用してほしいと思っています。
【潜在中の助産師さんへのメッセージ】
少しの時間を未来を担う赤ちゃんとそのお母さん、家族の方々のためにください。あなた自身がいちばん大切 そしてお子さんや家族が大切、その次に助産師とし そしてのあなたの活躍に期待したい。いっしょに働きましょう!!
時間とともに状況は変わるので(とてもたいへんだった子どもたちの送迎も4年間で終了。今では夜勤だって可能)できることを少しずつ・・・勇気をもって始めましょう。フォローさせていただきます!!
休んでいる間も、助産師として生きていたと思います
こもりかおり(沖縄・こもり助産院院長)
ハイリスク出産の集まる大阪府立母子保健総合医療センターで勤務していましたが、学生時代に実習した助産院もお手伝いをしていて、そこの先生から開業助産師になるようにと言われていました。しかし結婚して、夫のダイビングショップを手伝うようになり助産師の仕事からは10年くらい離れました。
でも、その間3人の子を出産し、うち二度は助産院出産を経験し、入院中にはお産に呼んでいただき、先生の手元を必死に見て、産婦さんにかける言葉をよく聞いて勉強させて頂きました。心は助産師として生きていたところがありました。
復職のきっかけは、ある夏、冷夏で、夫の仕事が不振になったことによる経済的理由でした。ナースバンクで出会えた病院へ行き「冬だけ働きたい」と大胆な希望を言ってみました。ダイビングショップは夏がとても忙しくて冬は仕事がないという仕事だったのです。すると驚いたことに承諾してくれました。そういう働き方を受け容れてもらったことが、復職できた理由として大きかったですね。その病院ではひとりでお産をとらなければならないことがありましたが、私の場合、開業したいという意識があったので恐怖はありませんでした。若い日に、大先輩の開業助産師さんに「あなたは開業する人」とまるで"呪文"をかけられていた感じで、本当に開業しました。
【潜在中の方へのメッセージ】
女も仕事にのめり込むと面白くて家のことを忘れてしまう危険がありますね。私は離婚を経験することになりました。今思えば、誰かが「女性が働くということは夫婦関係との兼ね合いがあるから、夫も大事にしなければならないよ」と言ってくれていたら、と思います。ですから、今、復職を考えている人にはぜひ帰ってきて欲しいと思いますが、夫も大切にして、と言いたいですね。
また、仕事に戻るには産後の健診や新生児訪問が戻りやすいですよね。小さな仕事から始めて、ともかく外に出る。そうして初めて、自分が何をすべきかが見えてくると思います。私もこれから、地域に潜在助産師さんの方がいたら、この助産院の仕事の戻りやすいところを担当して頂くことを考えています。
こもり助産院ホームページ http://hb4.seikyou.ne.jp/home/como/
お産イベントに参加して復帰のきっかけを得る
田中敬子(広島県広島市 田中助産所) 2年6ヶ月のブランクの後ネットワーク活動等を経て開業
妊娠して切迫早産傾向にあったため休みがちとなり他の職員に迷惑がかかる事、パート勤務だったため有給や育児休暇等ない等の理由で退職しました。
復帰を決心したとききっかけは、出産後3ヶ月経ったとき、第1回目のいいお産の日のイベント(リボーン主催)に行く機会を得たこと。そこで、リボーンの皆さんから世界のお産の状況や今なお行われている日本の助産院等での自然な出産や家庭分娩があることを教えていただきました。また育児サークルの方々が病院助産婦以上に情報を得ており、さらにいいお産・子育てについて勉強されていることに驚きました。また、一人目の子を妊娠・出産することで、妊婦のささいな悩みや身体の変化に対応できないさまざまな出来事、育児の大変さを改めて知ることができました。そして、これまで自分が病院で妊産婦さんに指導していたことが全く役に立たないことに気づきました。上記4点により、病院内で働いているだけでは、現状の母親達の悩みに答えることができないと思い、再出発の意を込めて開業しました。
復帰にあたり、お産や母乳を考える自主グループの活動に参加し、いいお産のあり方・母乳育児での育てるポイントを教えていただきました。また、広島助産婦ネットワーク”ゆりかご”を立ち上げ、多くの広島の潜在助産婦と勤務助産婦、開業助産婦と話し合いを持ち、勉強会を開き学んで行った。決定的な勉強策は、実際に二人目を自宅分娩し母乳育児を行いました。その体験により、ミシェル・オダンや山内逸郎先生の書物の本質・素晴らしさを知りました。つまり、私の場合、すべて行動し体感して知る「百聞は一見にしかず」という勉強方法でした。今、活躍されている全ての方に支えられ教えられ助けられました。特に、第1回目、第2回目のいいお産のスタッフ・リボーンのスタッフ(熊手さん、河合さん、きくちさん、戸田さん、大葉さん、三宅さん、ジモンなど)の皆様、出演されていた多くの先生方、広島の母親達の自主グループの皆様、(社)日本助産師会の先輩方です。
【今現在の仕事の内容】
主体は出張開業助産師です(名称;田中助産所)。
・訪問による母乳育児
・れいこ助産院の自宅分娩のサポート
・広島市新生児訪問(未熟児・幼児虐待要望費用で賃金をいただく)
・地域の要望によりマタニティクラス、子育て支援の方への講義
・マタニティスイミングのメディカルチェック兼おっぱい講座
・フードコーディネーターと食育セミナー(http://www.moderate.jp)
・社)日本助産師会広島県支部前支部長(平成12年〜16年)
出張開業助産師として母乳育児相談、タッチケア講座。先輩助産師との家庭出産・助産所分娩のサポート。保健センターの新生児訪問。スイミングクラブのマタニティメディカルチェック。その他、スイミングスクールにて月1回おっぱい講座、食育サロンにて講座、スリング講座、市民会館などで依頼されたテーマ別に講演を行っています。
私の子どもは、小学校6年と4年になりました。だいぶ手が離れて来たので2年前にお産のお手伝いも再開しました。妊婦さん一人一人、ご家族の皆さん一人一人の潜在能力を引き出す事の出来るお産や母乳育児は本当に素晴らしいと日々感じます。これからも、本能的な愛情があふれ出るような家族の絆が結ばれる為のお産や育児のお手伝いが出来ればと思っています。
【潜在中の助産師さんへのメッセージを一言! 】
広島という地域は、原爆投下以来、なかなか助産婦の学校が出来なかった地域です。私達は助産師になるために、みんな、東京や大阪、京都等に出て学びました。帰郷できる人は帰って来るというような状況が続いていました。十数年前、助産婦学校ができましたが、それまでは本当に助産師の数は少なかったです。他県より、県民の方々の助産師という職業の認知度もかなり低く、開業助産婦は皆無に近い状況でした。
現在の私の職業内容は文字にすれば「母乳育児相談・保健センターの新生児訪問。講演」と、一行で終わるような短い文字ですが、この12年間、戦後の新しい開業助産師として、道のない道を自分なりに模索して歩いて来たように思います。 まず、誰からも出張開業の実際を教わることなく、おそるおそる母乳育児相談を始めました。「私のこの技術で満足してもらえるんだろうか、料金をいただいてもいいのだろうか」という不安な思いは2年くらいつきまとっていました。次第に、共通の思いのある助産師の仲間ができ、私達の熱意が伝わり、講演会に出るよう声をかけていただくようになりました。新聞にも「はつらつ助産婦の親育て子育て」という連載を書かせていただくことになりました。県と共催で子育てイベントも行ってきました。「真実の思い」は伝わるのだなと思いました。 一人目を出産した時の病院の助産師としての未熟な出来、しかし、二人目の出産でお産や育児の本質を知った事。その素晴らしさや万人が持てる喜びを世の中の方に味わってもらいたくて、日々頑張ってきました。
2年前保健センターから新生児訪問の事業について案が出され、思ったような予算をつけていただいた時は、ようやく世間に認められて来たかと思い本当に嬉しかったです。 でも、一人一人で成し得る力は本当に小さいです。医師が不足している今こそ、開業権のある助産師の力を獲り戻す事が必要だと思います。いつまでも、病院内で自分の判断のみでなく行動していては力はつきません。まずは、(社)日本助産師会に入る、地域に出て育児支援を無料でも行っていくという方向からでも、自分の足で歩き始めることが必要だと思います。そして、わからない事を恐れず、素直に先輩に相談する謙虚さも持つ事が大切だと思います。
昭和40年以前の助産婦の仕事が全盛期だった頃のことを学び直し、助産師自ら力をつけ、協力し合い、お母様のために、新しい命の始まりを支える職業人として一緒に頑張っていきましょう!!!ファイト!!
専門誌バックナンバーを5年分一気読みして準備
茨城県 個人病院4年半勤務後5年間ブランクののち病院勤務に復帰
うつと燃え尽きで助産師の仕事を離れていました。
医療と関係のない仕事をしていましたが、突然に解雇されました。いろいろな仕事をしていたのですが、何をしても助産師であることから逃げているような気持ちがずっとあったので、解雇も何かの縁かも知れないと思いました。かなり不安がありましたが、ダメならダメで、助産師ときっぱりお別れもできるかなぁというような気持ちもありました。
復帰にあたり、『助産雑誌』『周産期医学』5年分を一気読み。『国民衛生の動向』などで、現状のおおまかな把握。ネット上で、いろいろな病院のホームページも閲覧しました。組織では、日本看護協会のインターネットでの就職斡旋にお世話になりました。
今現在の勤め先は病院です。なかばやけっぱちな気分での復職だったのですが、やはり女性や子どもを直接支援できる立場にいることは、私にとってとても自然なことだと感じています。案の定、うつの症状は一時期悪化しましたが、病院側の理解と応援私自身の「今回は辞めたくない」という気持ちで、なんとか続いています。
復職してから、母子整体研究会のセミナーやインファント・マッサージの講座に参加したり、個人としての技術を得るとともに、外の空気をたっぷり吸い込んで、煮つまらないように工夫しています。
5年のブランクはかなり不安でしたが、いざお産になってしまえば体が自然に動いてしまうものだということがわかりました。たしかに新しい技術が導入されていて、多少戸惑うことはありましたがお産や子どもの成長・発達の土台が変わっているわけではないので、悩んでいらっしゃるなら、思い切って復職されることをぜひお勧めしたいです。
【潜在助産師さんへのメッセージ】
私の場合、とにかく急いでいたことと、知らない土地での再就職で、あまり病院のお産の方針などを詳しく調べずに再就職しましたが、その点だけはもう少しきちんと調べてからのほうが良かったかなと反省しています。以前の職場とほぼ正反対の方針なので、経験としてはおもしろいのですが、気持ちがついていけなくなるときがあります。
5年のブランクの間にしていた仕事もとても楽しく充実していたので、自分が「潜在」助産師だという自覚はぜんぜんありませんでしたが、いざ再就職してみると、個人病院やクリニックがどれだけ助産師不足か目の当たりにしています。今しているお仕事が一区切りついたら是非一度、助産師復活も選択肢のひとつに加えてみてください。