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にっぽんの助産婦
戦前・戦中・戦後の仕事


 姑から伝えられた自然出産の智恵
桃太郎助産院 古園井フジ枝さん(大阪府八尾市)

文・写真 / 三好菜穂子

REBORN20号(1998年7月発行)より

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産婆の発祥地といわれる大阪には、今でもご活躍の高齢助産婦の方々が多い。 3代にわたって助産院を営む、桃太郎助産院の古園井フジ枝さん(当時80歳)を訪ねた。

 

● 初代は、第1回産婆試験の合格者

 お姑さんである先代の古園井ヨソノさん(明治20年生まれ)は、福岡県で明治44年に行われた第1回産婆試験の合格者だ。手先が器用な無資格の出産経験者が"とりあげ産婆"として重宝がられていた時代に、さっそうと現れた近代産婆の走りだった。
とはいうものの、お金をとらないとりあげ産婆には太刀打ちできず、兄弟を頼って朝鮮に渡り、現地で結婚。帰国後、夫の死をきっかけに、昭和2年『桃太郎産婆』として大阪に開業した。縁起の良いネーミングは、当時鶴橋市にあった『鶴亀産婆』に想を得たものらしく、誰からも親しまれる名前は三代目に代替わりした今も引き継がれている。

「お義母さんは、とにかく頭のいい人でした。スラーっとした長身で早くから洋服を着て、靴音をカツカツと響かせて....。姿勢よく歩くから靴底がまっすぐに減ってましたわ。近所に流行っていた産婆さんがいたので開業当初は人も少なかったようですが、『桃太郎さんはしっかりしてはる』という評判が広まって繁盛するようになったんです」


●8000人の赤ちゃんをとりあげる

 二代目のフジ枝さんは、大正7年に広島県宮島で、左官屋の5人兄弟の末っ子として生まれ育った。お風呂をもらいに来る近所の赤ちゃんの面倒をよくみていたので、職人たちから「ふうちゃんは、産婆ぁさんになったらええ」と言われていたという。
その言葉どおりに、友人の誘いで1年間看護学校に通った後、もう半年産婆養成所に通い、昭和9年、助産婦免許を取得。実地試験の"妊婦診察"では、親切な妊婦さんが赤ちゃんの位置をこっそり教えてくれたという。

 親戚を頼って大阪に出て、会社の医局に務めていたときに、たまたま同僚がヨソノさんの娘だったという縁で、『嫁に行くまで実地をみたい!』と願っていたフジ枝さんは助手として弟子入り。その5ヶ月後には、ヨソノさんに請われて長男の嫁になった。
 先代が見込んだとおり、フジ枝さんは桃太郎産婆を切り盛りしながら、8000人に及ぶお産をとり、ヨソノさんが70歳で引退後は、昭和41年東大阪市に施設を開業した。

「お金を借りに行った公庫で『"助産婦"って何をする人ですか?』って聞かれて…。産婆と言わないとわからないんですわ」。
以前より減ったとはいえ、昭和40年代に入っても、大阪周辺では自宅出産が日常的にあった。
街の人たちも「助産婦」より、昔から地域にすっかり溶け込んだ「お産婆さん」という呼び方がしっくりするのだろう。現在は、三代目にあたる長男のお嫁さんの恭美さんが中心になって切り盛りし、昨年(平成9年)、ベビーピンクの外観が目を引く鉄筋の施設を新築した。


● 自然に任せて待つお産

「戦前は、妊娠5ヵ月くらいのときに腹帯をしてもらいに産婆にかかり、それから毎月妊婦の家に往診に行きました。予定日もおおよそだから、予定日より1週間遅れるというのもざらで、『入ったときもわからんのだから、出るときもわからんよ』って言ったもんです」
 いよいよ出産というときには家のものが呼びに来るが、「額から、米粒が煮えるほどの汗が出んと生まれへん」と、事前に説明はするもののそこまで辛抱する人はいない。だから、初産ではたいてい2回、産家と助産院を往復することになった。
「昔は、子宮口が2銭銅貨大に開けばできると言ってました」。

12月、1月、それに暑いときがまた忙しい。それは、「春と秋にお腹に入るのが自然だから」。陣痛が長引くときも「自然に、ひたすら待って」、一晩でも腰をさする。あんまり陣痛がキツイときは、産婦を抱きかかえるようにして腰をさすった。
自然に待てば、会陰にひどい裂傷ができることもない。「ほっちらかし」にしても、自然に裂けた傷は、いつの間にか完全についた。
「うちのお義母さんが、『人間で一番伸びるのはココや』というくらい、会陰は瞬間的によく伸びる。伸びにくい人と伸びやすい人といるけどね。破水せんときは卵膜が張ってしんどいの。周りをちょっとつついてあげればホントにラクなんだけど、ぎりぎりまでもたせるの。膣の皮膚を伸ばすから、破れても案外ちょっとで済むわけ」


●難産、逆子、出血…

「赤ちゃんがおなかの片方に寄ってしまう"流線型"のときは、お産が長引きくわね。回旋が悪いから、きばりがこない。おなかの上から赤ちゃんのお尻を押すようにして真ん中に寄せたりして、外から回旋を助けないと…」。
産婦のお尻に手を当てて圧迫感を感じれば、きばりがきている証拠だ。いつものように、仰向けにして分娩介助をはじめる。

「逆子は経産婦なら返るけど、初産は返らないままお産になる人が多かったわね。なかには、"海老子"っていって足を伸ばしたままの赤ちゃんがいて、突っ張っちゃったまま返らんの。そのかわり、お尻から出るからお産はラク」。
とはいっても、逆子は出にくいことも多いから、いつも以上に慎重になった。

「一番恐いのは出血ね。ホースから水が出るようにバーッと出たときには、急いでおなかを腹巻きでギュッとくくって、氷で冷やして…。でも、子宮の収縮がよく、救急車が着いたころには出血もなくて、産婦さんもケロッとしたもんでした。それより、ジワジワくる出血のほうがクセモノでね、収縮も悪いから恐いですね」。
「おなかが空いているときにお産をすると出血しやすいね。昔は、卵を2、3個茶碗に割って、醤油をちょっとたらしたのを飲ますの。
胃袋が動くと、多少子宮も収縮するからね。だから今でも、食べないままお産が夜中に長引くと、果物やおにぎり食べなさいって言いますね」。


● 妊婦の体が変わった!

「昔の人はよく体を動かしたでしょ。洗濯も手でゴシゴシ、掃除もよくして、毎日よく動いていたから、安産のために特別なことをする必要がなかった。今は、食べたいだけ栄養をとって、動かないでしょ。抵抗力がなくなったし、皮膚が伸びなくなったね。
それに、しゃがむ動作がなくなったせいか、今の人は足が広がらんのね。うちのトイレは和式と洋式両方あるから、お産前の人には『これから足広げなきゃならんでしょ!』って和式トイレに行かせてる。『トイレ掃除をするとええ子が産まれる』というのも、トイレ掃除は、かがんだりして体を細かく動かさなあかんから、いい運動になるんでしょう」。

 妊娠中期から、妊婦健診のときに行っているマッサージを実演してもらった。最初は円を描くようにお腹を軽くさすったあとに、腰をかかえるようにして背骨のあたりに手を添えて、クイックイッと2、3回浮かすようにする。マッサージが終わったら、妊婦を一度横向きにしてから起きあがらせる。
「妊婦さん、『気持ちいい』言うて、とても喜びはりますよ。お産の1、2週間前にする
と、おなかの赤ちゃんがフニャッとしていたのがカチッとなってきてね。それが、もう、そろそろ産まれるっていうサインなのね」。

 先代直伝の技は、三代目の恭美さんに受け継がれている。産婆さんたちは、ずーっと昔から、こうやって自らの"手"で赤ちゃんたちと交信してきたのだ、と改めて確信した。


●この取材は、大谷助産院の大谷タカコ先生、助産師の岡いくよさんにご協力いただきました。ありがとうございまいた。

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