高木貴美子さん 元・『助産雑誌』編集者 『助産雑誌』編集23年間を振り返って 文・写真・聞き手/河合 蘭 聞き手/三宅はつえ,熊手麻紀子 |
書店では医学書のコーナーにしかない。『助産雑誌(旧・助産婦雑誌)』(医学書院)は、知る人ぞ知るお産界の業界誌だ。そこで23年間活躍された高木貴美子さんが、この春異動された。 高木さんは、REBORNにとっても、頼りにしてきた大先輩である。23年という数字は、社内でも新記録樹立の長さだそうだ。それほどこのテーマに深く関わってきた高木さんを、「助産師以上に助産師らしい」と言う人もいる。 お訪ねして、同誌でのお仕事を振り返っていただいた。 ●お産の復活に沸いていた当時! REBORN 高木さんが『助産婦雑誌』に入られた1970年代後半、お産の世界はどんな様子でしたか? 高木 私が編集部に来た時代は、世はラマーズ法と桶谷式マッサージで沸き立っていました。その少し前に、朝日新聞記者の藤田真一さんが連載していた『お産革命』という本が出て、そこで助産院のラマーズ法が見事に紹介されました。あれは、あの当時の、元気を失っていたようなお産に光を当てた本でしたね。 自然なお産が見直され、助産婦が、ようやく息を吹き返した時期で、あのワーッいう熱気がこもった空気は本当にすごかったですよね。ラマーズ法には、「産む人主体」という思想も入っていました。 REBORN それまでの助産婦さんはどんな感じでしたか。 高木 昭和35年に、自宅出産の割合が施設出産の割合と逆転しましたよね。その後の昭和40年代は一気に医療化が進んで、管理分娩が一番盛んだった時代ですね。助産婦の方々は、自分たちは否定されたと思い、自信を失っていたようでした。そうなっていなかった人は、ごく一部だったのではないでしょうか。 REBORN そうですか。REBORNでは、古参スタッフがお産に深く関わり始めたのは、ラマーズ法全盛期か、そのちょっとあとくらいです。それで、さらに明確に「産む人主体」でとても自由なアクティブ・バースが出てくると、今度はラマーズ法について「医療者主導のお産」という批判が出てきたりしていました。呼吸法や分娩体位が決まっていた、ということで。 高木 ほんとうに、大きな変化ですね。アクティブバースの登場も大きいことでした。 ●産婦が「いや」と言えるのが、いい助産婦 REBORN いろいろな企画をされて来た中で、高木さんのベスト記事は何ですか? 高木 賛否はあるでしょうが、48巻(1994)5号の特別記事「佐藤由美子さんの出産体験をいかに受けとめるか」と、再検証をした12号の特集だと思います。佐藤さんは『アクティブ・バース(現・ニュー・アクティブ・バース)』の翻訳者で、お産のことをいろいろとわかって自宅出産をなさいました。 ところが、いざお産が始まってみると、入浴を強要されるなど、助産婦のその時の介助が、本当に産む人中心ではないと感じて、大いに疑問を感じられた。その思いを長い手紙にして、送ってきて下さったのですが、それで私は、佐藤さんのお産を介助された助産婦さん3人に相談をしました。お二人は、はじめはとまどっていらっしゃいましたが、やがてきちんと向かい合ってお返事をくださいました。うれしかったですね。雑誌には、そのお返事と、佐藤さんのお手紙全文を載せました。あの記事などが、自分ではまあまあだったかなと思っています。 REBORN あれは、「産む人が主導権を握る」という考え方について、助産婦さんを厳しく問いただした記事でしたね。このあたり、高木さんの仕事を常に貫いてきた考えだと思うのですが。 高木 私は、看護から、この仕事を出発しています。『助産雑誌』の前は看護一般の編集をしていたのですが、看護の考え方は当時助産より進んでいたといいましょうか、「人が人を看護する」という思想がはっきりとありました。私はそれにとても感銘を受けていたので、実は、『助産婦雑誌』に来た時は、ちょっとびっくりしてしまったのです。 なにしろ、当時頂くお原稿は「○○してあげる」「○○させる」という表現ばかりで。女性は自分たちが手伝わなければ何も出来ない、という考えでしたから。私はそれがいやで、一時期やめたいと思ったことも‥‥でも、そんなときに「これではいけない」という投稿が来て、思い直しました。岡部恵子さんのお原稿でしたが、この方は、ご自分も、もうこんな考えばかり載っている雑誌は読むのをやめようと思っていて、「これが最後」と思って投書されたそうです。私は、早速お会いしに行ったものです。 REBORN 今でこそ、援助、サポートという言葉が盛んに使われるようになりましたけれど。 高木 その点で、助産はとても進歩してきたと思います。確かに昔の産婆さんは、「依らしむべし」で、自分に頼らせて、導いてあげるという考え方でしたが、私は、助産婦の皆さんには、女性がそう言いたい時は、「ノー」と言ってしまえる、そういう助産婦になってもらいたいですね。 それから、誰でも、少し認められると、勘違いを起こし始めて、偉そうになってしまう危険をもっているから気をつけなければなりません。これは、結構危険な、人間の落とし穴だと思います。 ●事実は、真実の敵 REBORN 出産関係の報道・出版をしている人間に対しても、メッセージをいだたけますか。 高木 今のマスコミは「こういうことを書けば売れる」というところに合わせて書いているのか、伝えるべきことを書いているのか・・・マスコミは事実ではなく、真実を書いてもらいたいと思います。これ、「ラ・マンチャの男」に出てくる、私の好きなせりふなんですよ。「事実は、真実の敵だ」というものですが、本当にそうだな、と思うことありますよね。我々はどうしても、出来あがってしまっていることに合わせることが多いじゃないですか。でも、少しでも真実に近づきたい、と思っています。 REBORN REBORNも、漫然とした事実の羅列に陥ることなく、高木さんの心意気について行きたいです。今日はどうもありがとうございました。 インタビュー後、昭和50年代の『助産雑誌』を見せていただいた。「人間的アプローチ」など今出てもおかしくない先進的な言葉がたくさん詰まっていて驚く。これらかも、高木さんと『助産雑誌』には、一歩また一歩とお産を前に引っ張っていってほしい。
★高木さんは、単行本の部署で引き続き出産関連の編集をなさいます。また『助産雑誌』では現在、入戸野さん、竹内さんというフレッシュなお二人が活躍中です(頑張ってください!)。 <もっと知りたい方へ> 『助産雑誌』の紹介ページ ※この記事は助産婦の名称改正前の話題が中心なので、旧称の「助産婦」を使用しました。 |
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