長野からのメッセージ(2) 私が考える「安心して産める」という意味 ――高度医療に支えられた出産・育児を体験した立場から |
by 亀井智泉(安曇野のいいお産を作る母の会代表) |
長野からのメッセージ2回目です。このメッセージを書いて下さった亀井さんは、長野の最先端医療を担うこども病院の中でお子さんを育てました。そこで亀井さんが経験したのは、命の厳しさを共に受けとめ立ち向かってくれた医師たちの心でした。本当に「安心できる出産」とは?みんなが大病院で産めば、それで女性たちは安心できるというのでしょうか?(河合) プロフィール |
■医師のパターナリズムに甘えてきた私たち お産は人間に残された最後の自然だと思います。私たちはそれを忘れてこれまで医療に苦しみを取り除くことばかりを求めてきました。そしていつのまにか、医師がいなくてはお産ができないようになってしまっています。それが医師への過重負担を生み、医師を疲れさせてしまったのではないでしょうか。医師不足の原因には、主体性のないお産をしてきた私たち母親にも責任の一端があると自覚しなければならないと思います。同時に、私たちはこれ以上お医者さんたちのやさしいパターナリズムに甘えてはいけない、ということにも気づき始めています。 ■医療の助けが必要な人には、医療も心の支えもたくさん必要 もちろん、その一方で、何らかのリスクを抱えて医療の力を借りなければならない人もいます。その人たちにこそ、最高の医療技術と手厚いケアを注いでほしいと思います。限られた医療資源ならばなおのこと、それを無駄遣いしないように、自然なお産をできる人にはその力を最大限に活かしてもらう。そして医療の力を必要とする人のためにこそ医療の心と力を集中して注ぐシステムをつくっていただきたいのです。 ■すべての赤ちゃんに「おめでとう」と言ってくれる産科医療を 10年前に普通分娩にて生まれた私の長女は周産期の事故で脳死の状態になりました。搬送先のこども病院で長女は育ち、4年あまり生きてくれました。長女は私たちを親として、家族として育ててくれました。とても幸せでした。どんなに重い障害をある子を授かっても、苦しみと悲しみを自分たちの力で乗り越えることを支える人がいてくれれば、強く幸せな家族になれるのです。私は脳死の子でも、長女を産んでよかった、育ててよかった、と大きな声ではっきりと言えます。 生まれてくるすべての赤ちゃんに「おめでとう」を。たとえ病気や障害があっても、命の存在という大きなことの前には些細なことに過ぎません。子どもたちみんなに、大丈夫だよ、幸せな家族になれるよ、と味方になり、家族を支えてくれる社会。病気や障害があってもお家に帰って家族の中で、地域の中で育っていける、そんなシステムを作りませんか。どんなお産をしても、「この子を産んでよかった」と思えるように。それが私たちの望む「安心して産める」社会だと思っています。 2006年5月 記 |
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