助産師が足りない
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今後のお産のあり方を考えるとき、アメリカ合衆国におけるナース・ミッドワイフ(看護師資格をもつ助産師)の成立過程と日本の出産の歴史にヒントが隠されている。 | ||||||||||||||||||||
●アメリカの歴史的な推移「日本の第二次世界大戦後の助産師の位置づけは、当時のアメリカの状況をそのまま持ち込んだものだ」と呪文のように教えられている。だがアメリカのナース・ミッドワイフの成立過程には、意外な点がいくつかある。そのひとつは、「ナース・ミッドワイフは、医師が求めたものだ」ということだ。医師と助産師が職域をめぐって対立することが当たり前のように思われている日本の状況とはずいぶん異なっている。 日本では出産場所の施設化が1960年代に急激に生じたが、アメリカでは1940年時点ですでに病院出産だけで6割に達する。逆に言えば4割は病院以外で生まれていたわけだが、立会者は9割が医師だった。つまり、家庭医が自宅等で分娩介助をしていたわけだ。 1920年代には、表1にあるように、クロロホルムなどを使用した半麻酔分娩が登場、分娩までの手間や付き添い時間が長くなるにつれ、医師から悲鳴が聞かれるようになった。その理由は、「忙しくてやっていられない」というもの。無資格産婆(といっても当時分娩介助の資格自体がなかったわけだが)の排除とあいまり「ナース・ミッドワイフをつくって彼女たちが正常産を扱え」という主張が医師から聞かれるようになる。日本でも医師が忙殺されているが、アメリカではその解消のために医師側から助産師が求められたわけだ。興味深いことに、アメリカ看護協会が事後追認的にナース・ミッドワイフの存在を認めたのは、組織的な養成が始まってから30年たってからのことだった。●日本の歴史的状況それでは、日本の歴史的状況はどうだったのか。私見だが日本の出産の歴史には、大きく 2 つの転換点があった。 1 つ目は江戸後期から明治期にかけての出産の医療化・専門職化。江戸中期までは、女性はひとりで産むか、地縁・血縁・婚縁者の世話を借りるか、「取り上げ婆さん」と呼ばれるお産に詳しい人を呼ぶかだった(昭和初期ぐらいまで実質的に庶民のお産がこうだった地方もある)。この取り上げ婆さんは、専門職でも医療者でもなく、お産の扱いに秀でた者だった。これが江戸後期には未亡人で分娩取り扱いを生業にするなど「職業」とする者が出てきたのである。明治期には「医制」と「産婆規則」が制定され、分娩介助は医療行為とされた。産婆学校が各地で開校され、西洋医学的な助産学を学び、仰臥位分娩が近代的なものとされるようになる。西川麦子著『ある近代産婆の物語』のオビに「『近代』は、颯爽と現れた。黒いカバンを持ち、自転車に乗って」と記されたように、産婆は近代の象徴であり日本各地すみずみに医療的な出産を持ち込んだのである。その後、第二次世界大戦をはさんで、地方への衛生・医療の普及がされ、これが施設化を受け入れる土壌となった。 2つ目の転換点は昭和30年代の出産場所の施設化である。昭和30年には自宅分娩が82%だったのに対し、昭和40年に16%に急低下したのである。この「施設化」のリード的存在は、実は助産所だった。聞き取り調査をすると、まだ施設化がはじまるかどうかという昭和20〜30年代に有床助産院を開設したと答える開業助産師が少なくない。産婆会・助産婦会・その他公設助産所の設置、開業助産師による共同経営有床助産院、町村による雇用、母子健康センター設置により施設分娩が進められた。 このように、産婆・助産婦は仰臥位産、西洋医学的な衛生医薬品、衛生観、出産場所の施設化など、「近代」を地方の隅々まで運ぶ担い手であり、近代化の急先鋒だった。しかし施設化と医療化がさらに進行すると、医師が取って代わるようになったのである。●医師も助産師も各々の専門性を発揮することができる未来を求めて今年、厚生労働省で「医療安全の確保に向けた保健師助産師看護師法等のあり方に関する検討会」が開催され、その中の一つの議題に、お産の進行・異常の有無を調べる「内診」を看護師に認めるか否かがあった。 REBORNでも「意見書」を提出している。 医師側が、看護師に内診をさせたいニーズは理解できる。とにかく「忙しすぎる」「人手が足りない」のだ。内診を子宮口の開大度と児頭の下降度のみを「計測」して医師に出番を知らせるためと考えているので、看護師が実施可能な「診療補助行為」とみなしている。そこでは、各々の職域・専門性を発揮したチーム医療ではなく、権限が複雑化するために助産師を排し、医師を頂点としたハイアラーキー的な(ピラミッド的な階梯組織)医療体制が念頭におかれている。 確かに産科医療には問題が山積みだ。地方では助産師を募集しても人材が確保できない(需要と供給が一致しない)、産科・産院自体の閉鎖、研修医の引き揚げ問題、経営問題など枚挙にいとまがない。産婦人科では、正常産、異常産・合併症産、婦人科疾患、不妊治療などを医師が一手に引き受けている。 しかし忙しさと人手不足の解消は、看護師に内診をさせるだけが解決案ではない。アメリカと日本の歴史から学べることは、助産師をうまく使おうということだ。 (1)助産師はできるかぎり助産師として職域を発揮しよう。別科で勤務している助産師の見直し、適材適所。 (2)潜在助産師を活用しよう。復帰を躊躇している助産師のための職業訓練が日本助産師会ではじまった。(潜在助産師研修) (3)助産師養成数を増やそう。助産師学校の閉校、助産課程の定員減などにより養成数は減少傾向にある。 (4)助産師の質を高めよう。職能団体による卒後教育、職場教育( OJT )を他業種並みにしよう。勉強会など私的団体への援助、大学院教育を拡充しよう。 (5)ハイアラーキー的発想からチーム医療へ。産科はパラメディカル(医師以外を診療補助者とする医療従事者体系)からコメディカル(分担協力する水平的なパートナーシップ)への流れに乗り遅れていないか。 (6)職能団体による人材バンクを。病院・クリニック・助産所の人材の連携を。人材の柔軟な連携を(院外助産師のオンコール体制、人材の貸し借り)。他業種並のインターンシップや研修を(お見合い、マッチング機会の増大)。 この検討会、結局看護師の内診問題については一定の方向性が定まらなかった。拙速に結論がでなかったことに安堵を覚えているが、今後、医師不足、配置のアンバランスの問題、助産所の安全性確保の問題(嘱託医・搬送先の問題)、小児科・産科の集約の問題などと総合的に検討される必要がある。最後に一言だけ述べておきたいのは、内診問題で、少なくとも私の周囲や私が目にした意見書・記者会見では、産む側としての発言で「看護師の内診に賛成」とした人は、一人もいなかったということだ。医師も助産師も、双方向かい合ってというよりも、産む側を見て、できれば輪になって話し合ってほしいと思う。 |
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