一般の方
お土産は授乳グッズでしたが、健診でサンプル配布とあげ方の指導がありました
1)何年に、どこの都道府県のどのような施設で出産しましたか?
何年:平成17年
都道府県:千葉県
施設:クリニック
2)出産した施設では、粉ミルクの広告が貼られていたり、退院時に粉ミルクあるいは関連グッズ等のお土産はありましたか? また、入院中及び退院後に、粉ミルクメーカーの人との接触はありましたか?(「調乳指導」等と呼ばれていることもあります)
入院中:調乳指導あり(個別に一対一の対面で実施)
広告、お土産:どちらもあり。
広告は、ポットや授乳クッションに、商品名が記載
3)保健所あるいは産院での乳児健診ではどうでしたか?
保健所:特になし
産院:乳児健診で、果汁やお茶の顆粒商品等のサンプル配布と指導あり。
4)それについて、どう思われましたか?
妊娠前から、母乳で育てたいと思っていたのですが、入院中に母乳不足と言われたため、お土産やグッズをもらえたのは得をした、という感じがありましたが、その後、母乳育児についての本を読んだりして母乳以外のものは必要ないことを知ったので乳児健診での指導やサンプル配布は、ちょっと嫌な感じがしました。
母親学級で粉ミルクのサンプルをもらい、1ヶ月健診の時はメーカーの人が来ていました
1)何年に、どこの都道府県のどのような施設で出産しましたか?
2008年 東京都内の大学病院で出産しました。
2)出産した施設では、粉ミルクの広告が貼られていたり、退院時に粉ミルクあるいは関連グッズ等のお土産はありましたか? また、入院中及び退院後に、粉ミルクメーカーの人との接触はありましたか?(「調乳指導」等と呼ばれていることもあります)
入院中・退院時にそういったことはありませんでした。お土産もなかったです。ただ、妊娠中母親学級の栄養指導でサンプルの粉ミルクをもらいました。
3)保健所あるいは産院での乳児健診ではどうでしたか?
産院での一ヶ月検診では粉ミルクメーカーの人がいたようでしたが、私はタイミングが合わなかったので話は聞きませんでした。またミルクメーカーの人も大々的にというよりは健診の邪魔にならないように押し付けがましくないように、というスタンスだったように感じました。
4)それについて、どう思われましたか?
1ヶ月健診の時は、まだ赤ちゃんのお世話ににも慣れておらずアタフタしていたので「話しかけられる」と思ったら緊張してしまいました。私がまだ健診が終わってないと知るとすぐにひいてくれたのでよかったと安堵しましたが、出来れば健診の時はそういった宣伝はやめてほしいと思います。
赤ちゃん用品ショップで粉ミルクをもらいました
はじめまして。HPを拝見しました。粉ミルクにWHOの指針があるのも初めて知りました。
私は2005年に兵庫県内の助産所で出産したので、所内に粉ミルクに関する情報というのは一切ありませんでした。
ただ、出産に向けての買い物で大型店舗チェーンの某赤ちゃん用品ショップに行った際、これから買い物する機会も増えるだろうと思い、ポイントカードを作ってもらった(会員になった)ところ、粗品が入ったバッグを持たされました。ひどく重いな、と中を見ると粉ミルクが丸々一缶入っていました。(結局使うことなくゴミ箱行きでしたが。)
先日いとこのお嫁さんが個人の産婦人科で出産したので赤ちゃんを見にいったら、もうすでに粉ミルクの話をしていて、早くから粉ミルクを併用する指導があるのか、とビックリしました。
入院中に乳首が切れたら、医師は「無理しなくていいよ。今の粉ミルクは性能がいいから」と言うだけでした。
1)何年に、どこの都道府県のどのような施設で出産しましたか?
2006年 個人産院にて出産
一応「赤ちゃんには母乳がいちばんです」と言うが、実際は完全母子別室。赤ちゃんが泣いても毎回は呼んでくれずスタッフの都合でミルクを足されていた。入院中は1日3〜4回しか授乳できなかった。夜は母体を休める為という名目でほとんど呼んでくれなかった。
2)出産した施設では、粉ミルクの広告が貼られていたり、退院時に粉ミルクあるいは関連グッズ等のお土産はありましたか? また、入院中及び退院後に、粉ミルクメーカーの人との接触はありましたか?(「調乳指導」等と呼ばれていることもあります)
広告はなかったが、カレンダーやその他のポスターは粉ミルクメーカーの物で、「○○乳業」など企業の名前と粉ミルクの名前は書いてあった。
退院時には粉ミルク小缶とスティックパック多数のサンプルや果汁飲料のお土産があった。この産院は母乳に熱心でない所なので私も入院中はほとんど母乳が出ず、「ミルクがあって助かった」くらいに思っていた。
入院中に「調乳指導」で入院中のママを集めて粉ミルクメーカーの栄養士がミルクの作り方を指導した。「うちのミルクは溶けが良くて味もいいんですよ」という感じでさりげなく宣伝していた。
また、私は里帰り出産だったので臨月になるまで他府県の個人産院に健診に行ったが、そこでも粉ミルクメーカーのカレンダーやポスターを見た。さらに母親学級の「栄養指導」ではそのメーカーの栄養士が「普段の食事ではなかなか妊婦さんに必要な栄養が摂れませんから、この商品を取り入れて元気な赤ちゃんを産んでくださいね」という売り文句付きで妊婦用栄養食品のサンプルをお土産に渡していた。出産後も子連れで集まるイベントには粉ミルクメーカーの栄養士が来て離乳食の相談と言いつつ、果汁飲料やフォローアップミルクなどの宣伝&お土産を渡していた。
3)保健所あるいは産院での乳児健診ではどうでしたか?
出産した産院には1ヶ月健診に行った。1ヶ月当時は混合だったが医師に体重の増えが出生時より700g程度で、ちょっと増え方が悪いなぁ・・・と言われた。だが、退院時に体重減少があったことも考慮してギリギリ大丈夫だろうとのことで特に指導はなかった。ちなみに、入院中に乳首が切れて授乳時に痛いがどうすれば良いかと医師に尋ねたところ、「産後は母体が疲れているんだから無理しなくていいよ。今の粉ミルクは性能いいし、初乳さえ飲ませたら大丈夫だから」と言っていた。
保健所には3〜4ヶ月健診に行った。体重は母子手帳の発育曲線より少し下に外れてしまったが、担当の小児科医が個性を認めてくれる医師だったのでミルクを足すように言われず「このまま様子を見て大丈夫ですよ」と再検診などはなかったので心底ホッとした。
反面、離乳食指導は酷かった。数名の母子が部屋に呼ばれると、そこには離乳食ガイドと野菜スープが置いてあり、栄養士が「飲ませてみましょう」と呼びかけると他のママ達は赤ちゃんにスプーンでスープを飲ませていた。私は離乳準備食は必要ないと知っていたのでかなり抵抗があったが言い出しにくい雰囲気だった。栄養士はさらに「りんごをすってあげてもいいですよ」と離乳食の説明を始めた。決して「スープを飲ませた方が良い」「果汁を飲ませた方が良い」とは言っていないがプロの栄養士が言うんだから飲ませるものなんだと思うママがほとんどではないか。企業の栄養士ではなく、市の栄養士のようだか、近々厚生労働省の離乳食ガイドが改訂されるという話は新聞にも載っていたほどなのに公の機関が公然と古い指導をしていたのに憤りを感じた。その後で別の保健師に「6ヶ月未満の子には母乳とミルク以外のものは与えない方が良いと聞いたのですが?」と尋ねると「離乳食に関しては色んな考え方がありますから、それぞれのお子さんにあった方法でいいんですよ」と言われ釈然としないまま帰宅した。
4)それについて、どう思われましたか?
本来、人間は哺乳動物であり適切な方法でほとんどの人が母乳育児できるはずなのに、母乳に理解のない不勉強な医療機関・行政の保健指導・育児書・妊娠育児雑誌などの商業ベース等に阻まれて多くのママ達が母乳育児をしたいと願っているのもかかわらず勿体無い事に混合やミルクになってしまう現実。私自身も不勉強だった為に完全母乳を目指していたのに最初の3ヶ月はミルクを足さざるを得なかった。幸いにも母乳育児に理解のある助産師や育児サークルに出会えたので今では完全母乳で育てている。産院で間違った指導をされていたと知った時はショックを通り越して悲しかった。なぜ母乳で育てるというごく当たり前の行為がこんなに難しくなるのか!!WHOコードを無視して営業活動をするミルクメーカーにも憤りを感じるが、それを受け入れてしまう産院はプロとしてあまりにも不勉強すぎるのではないか。1日でも早く適切な指導をする機関が増えるよう、願ってやまない。
初めてなのでみんなでプレゼントを喜んでいたけれど、今思えば可能性をつぶされていました。
1)何年に、どこの都道府県のどのような施設で出産しましたか?
2002年 愛知県 個人産院
2)出産した施設では、粉ミルクの広告が貼られていたり、退院時に粉ミルクあるいは関連グッズ等のお土産はありましたか? また、入院中及び退院後に、粉ミルクメーカーの人との接触はありましたか?(「調乳指導」等と呼ばれていることもあります)
出産後2日目に、栄養指導があると言われ、入院中の出産後ママは全員参加していました。行ってみると、白衣の女性がみえて、はじめはお母さんが一日に取りたい栄養、赤ちゃんに必要になってくる栄養の説明をして、その後、自社製品の粉ミルクの成分を説明し始めました。そのとき初めて、白衣の方がメーカの方だと知りました。そして、退院時に出産プレゼントとして2缶とサンプル、育児カレンダーを差し上げますといわれ、まだ母乳が出にくかった私や初めて産んだお母さんなどは嬉しいと思っていました。
3)保健所あるいは産院での乳児健診ではどうでしたか?
無理をしておっぱいにこだわらなくてよいと言われました。
4)それについて、どう思われましたか?
お母さんは出産後、自己判断に至るまでの情報源があまりなく、何も知らない状態で医者や栄養士の言葉を信じて従ってしまう。誰でも母乳は頑張ればでるのに、産院の看護婦などは自分のマッサージ技術が下手なのを隠すかのように「母乳が出ないからミルクを足せ、足せ」と当然のように作ってあげていたのは、今になると残念。沢山のママが素晴らしい自分の可能性をつぶしてしまっているように思えます。
WHOとユニセフのポスターが貼ってあるのに、最初の授乳は出産の14時間後。粉ミルク3缶のプレゼントもありました。
1)何年に、どこの都道府県のどのような施設で出産しましたか?
2004年に東京の個人産院で出産。
2)出産した施設では、粉ミルクの広告が貼られていたり、退院時に粉ミルクあるいは関連グッズ等のお土産はありましたか? また、入院中及び退院後に、粉ミルクメーカーの人との接触はありましたか?(「調乳指導」等と呼ばれていることもあります)
広告はなかったと思います。WHOとユニセフの『母乳育児を成功させるための10か条』ポスターは貼ってありました。が、新生児室では哺乳瓶でミルクを与えられ、最初の母乳授乳は産後14時間経ってからでした。粉ミルクのプレゼントは小缶3つと、パンフレットをたくさんもらいました。入院中に病室で粉ミルクメーカーの人から調乳指導がありました。
3)保健所あるいは産院での乳児健診ではどうでしたか?
産院では体重の増えが1ヶ月で700gだったので1kgに満たないから授乳の前にミルクを足すように医師から言われました。しかし同じ産院で助産婦さんからは、母乳だけで続けてみるように言われました。助産婦さんの言うことを守りました。保健所での3ヶ月健診では、授乳が1日8回あると言ったら多いですね、たいへんですねと言われましたが、ミルクを足せとは言われませんでした。
4)それについて、どう思われましたか?
同じ産院で医師と助産師の言うことが違うことに不信感を持ちました。保健所では体重の増えは少なめだけど、母乳で続けて構わないと言われて安心しました。
三人目の自宅出産で、粉ミルクの売り込みからやっと解放されました。
1)何年に、どこの都道府県のどのような施設で出産しましたか?
1994年総合病院 福島県 第一子出産
1998年診療所(個人医院) 福島県 第二子出産
2001年自宅(助産院からの出張分娩)福島県 第三子出産
2)出産した施設では、粉ミルクの広告が貼られていたり、退院時に粉ミルクあるいは関連グッズ等のお土産はありましたか? また、入院中及び退院後に、粉ミルクメーカーの人との接触はありましたか?(「調乳指導」等と呼ばれていることもあります)
第一子、施設内に広告あり。退院時粉ミルクスティック、ほ乳瓶のおみやげ付き。入院中、ミルクメーカーの人(と思われる)による調乳指導あり。
第二子 施設内に広告あり。入院中、ミルクメーカーからの栄養士による調乳指導あり。名前、住所を書かされる。退院時に粉ミルク缶、ほ乳瓶、果汁、バスタオルのおみやげ付き。
第三子では何もない。
3)保健所あるいは産院での乳児健診ではどうでしたか?
第一子の一ヶ月健診ではおみやげをもらったかどうか定かではないがスティックサンプルをもらったかもしれない。第二子の1ヶ月健診ではミルク缶をもらった。保健センターの乳児健診では粉ミルクのスティックサンプルがおいてあったが、ほしい人はもっていっていいみたいな感じだった。小児科での乳児健診でもサンプルがおいてあるだけだった。
4)それについて、どう思われましたか?
第一子のときはおみやげ付きで嬉しいと思った。母乳はドクターストップされて初乳さえ与えられなかったので、退院時に粉ミルク缶、ほ乳瓶や消毒器具を買いそろえた。病院では雪印を使用していたが、わたしが母乳禁ということで主任助産婦にワイスを勧められた。それでずっとワイスの粉ミルクを購入して飲ませていた。割高なミルクだったが、缶底についているシールをためて積み木など結構な景品をもらった。今思えば、景品無しにしてその分粉ミルクの価格を安くしてくれたらいいのにと思うが、当時は母乳をあげられなかった悔しさがあったのでもらった積み木が多少の慰めになった。親心をくすぐる商法だと思う。
第二子では開業医で出産したので、ミルクの宣伝は露骨だった。院内中、粉ミルクのトレードマークだらけ。母親学級では母乳を推奨しておきながら、実際は時間毎の授乳、不足分ミルクを補う。おみやげ攻勢は派手。極めつけは一ヶ月健診。赤ちゃんの診察は産科医が行い、体重と一日あたりの増加量だけでミルクを足すように言われ、その場で看護婦に粉ミルクを飲ませられた。小児科医も助産婦もいない産院です。お帰りはミルク缶のおみやげ付きでした。ちなみに退院時と健診時にもらったミルク2缶はもったいないから4ヶ月健診で隣にいたお母さんにあげちゃいました。娘は完全母乳で育ちました。
第三子は自宅出産ですので、ミルクの宣伝もおみやげもなく、生まれてすぐから何度も授乳でき、完全母乳で育ちました。
もうすぐ二人目。一人目は勉強不足の医師、看護師、保健師に振りまわされましたが、もう、勉強家の人が言うことだけを聞こうと思います。
1)何年に、どこの都道府県のどのような施設で出産しましたか?
2001年3月に,愛知県の個人の先生で出産しました。おじいちゃん先生がメイン,奥さんがサブ,人手が足りない時はお嫁さんが診察していました。出産は奥さん(もちろん産婦人科医)がメインで担当していたようです。評判のよい病院のはずでしたが,お年を召した頑固な先生だったので,正直なところ,古い考え方,古い手法での指導や出産だったと感じています。
2)出産した施設では、粉ミルクの広告が貼られていたり、退院時に粉ミルクあるいは関連グッズ等のお土産はありましたか? また、入院中及び退院後に、粉ミルクメーカーの人との接触はありましたか?(「調乳指導」等と呼ばれていることもあります)
粉ミルクの広告が貼られていたかは覚えていません。粉ミルクは入院中に使用していたものをもらいました。また,入院中に「調乳指導」があり,私は母乳のみを希望していたのですが,絶対出席するように看護師から言われ,会陰切開後でつらいなか,数人のママたちと別室に集まり指導をうけました。サンプルもたくさん頂きました。初産婦だけでなく,経産婦の方も呼ばれていて,「なぜ?」と思ったことを覚えています。
3)保健所あるいは産院での乳児健診ではどうでしたか?
母乳育児を目指していたのですが,産院での指導でミルクを足すようにしていました。保健所からの指導は人によりまちまちで,本当に困りましたが,基本的にはミルクを足すように指導されました。ミルクを足しているうちは,正直なところ母乳の出がよくなかったように感じています。
4)それについて、どう思われましたか?
初産でしたので,何もわからず,「そういうものだ」と思いこんでいました。しかし,桶谷式乳房マッサージを受けた友達の話から,ちょっと違うのでは?と思い直し,自分もマッサージに通うようになり,考え方も変わりました。今も仕事をしていますが,当時は仕事が忙しく,出産・育児のことを真剣に考える時間がなく,とても残念なことをしてしまったと思っています。
もうすぐ第二子を出産予定なのですが,今度は自分で納得のいくように育てたいと考えています。病院の先生や看護師さん,保健所の保健師さんは,ただ単に勉強不足なだけだったのではないか,という印象を持っています。そんな人たちに指導される妊産婦はたまったものではありませんが。
保健所の保健師さんでも,実家のある自治体の保健師さんはとても勉強家で,母乳育児にも積極的でした。そういう前向きな方の意見をとりいれ,古い考え方しか持たない方の意見は思い切って聞かないことにするようにしたいと思っています。
医療者の方
勤務している病院の粉ミルクプレゼントをやめさせたい。でも婦長は「おみやげのない病院は選ばれない」と考えています。
1)職種、勤務施設の形態を教えてください。
公立総合病院に勤務する助産師
2)勤務先では、粉ミルクの広告物の掲示や配布、退院時の粉ミルク等のお土産、入院中や定期検診時の乳業メーカーによる母親への指導など、粉ミルク関連の宣伝に協力していますか?
協力しています。乳業メーカーの母親への指導のみ行われていません。
3)2番について、どう思われていますか?
抵抗感強し。自分が御土産を渡す時は、(ケースバイケースですが)御土産を使う必要性のない方へははっきりと「あなたの場合は必要ないと思いますし、このパンフレットに書かれていることを鵜呑みにしないで、困ったらいつでも電話してください」と伝えます。でも、ほとんどの方は、「万が一の時のため」持って帰られます。あるイギリス人の方は、産前に母乳育児についての知識を豊富に持って見えて、御土産を拒否されました。情報提供の大切さを思い知らされました。
4)院内で、宣伝の内容や規模が検討されたことはありますか?あった場合はその検討内容と結果を、ない場合は、検討されない理由を教えてください。
4年前、看護部長(助産師)に直訴して、一蹴されました。「御土産も渡さない病院は選ばれなくなる」と言われ、部長の知識不足に幻滅しました。その後、部長は、日赤医療センターのBFHの記事を読み、若干態度を和らげましたが、自分から廃止するつもりはなく、「現場のスタッフで検討して決めてよい」と言っているようです。
しかし現場では、やっと母児同室、自律授乳、退院後一週間健診、フリースタイル出産が定着しはじめたばかりです。それらをすすめる過程で学んだことは、「ごり押しですすめるよりも、時間をかけてスタッフへ情報提供をし、少しずつ実践し、いいことを実感しながら前進していくほうがうまくいく」ということでした。WHOコードについても、ゆっくりと時間をかけてスタッフへ情報提供をし、実践に結び付けていきたいと思っています。緩やかに、したたかに、絶対にあきらめません。