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緊急インタビュー!潜在助産師/院内潜在助産師に聞く
助産師不足――本当の理由とは?
取材・文/河合 蘭
イラスト/平井さくら

 8月25日、細やかなサービスで日本一の分娩件数を誇っていた神奈川県の個人病院が、内診をする資格のない看護師に内診をさせていた疑いで神奈川県警から摘発されました。しかし看護師による内診は、実は開業医の施設ではごくありふれたことで、背景には助産師不足の問題があります。なぜ助産師はこんなに少ないのでしょうか。

 助産師人口全体を見ると、稼働している人とほとんど同数である26000人もの「潜在助産師」がいるともいわれています。一度は助産師として働こうとした人たちなのに、なぜそんなにたくさんの人が辞めてしまい、復帰せずにいるのでしょうか。

REBORNでは、メーリングリスト「お産のお鍋」を通じ、助産師なのに助産師として働けないでいる状況の方たちに話を聞きたいと呼びかけ、電話インタビューさせていただきました。そして潜在助産師と共に、病院勤務をしていながら産科閉鎖や他科勤務のために助産師として働けていない「院内助産師」などいろいろなケースをお聞きすることもできました。

 REBORNは、たとえ一朝一夕にできないことであろうとも、出産の場には、やはり母子の専門家である助産師がいて欲しいと思っています。長期的な視野で、そうした環境を作っていくべきだと考えます。

 第二次世界大戦後の日本は病院での医師による出産を志向し、行政も世間も、産科医さえいればお産はできるかのように錯覚するようになりました。この大きな変化は、本当は産科医の大切なパートナーであるはずの助産師を、国全体でじわじわと追いつめてきたのではないでしょうか。

 助産師が追い込まれ、今日のような不足と機能不全を起こしてきた現実と、その背景を、じっくりと聞いて頂きたいと思います。

■医師や看護師、准看護師と助産師では、出産に対する考え方が違う

【潜在助産師】Eさん(42歳)

看護師、准看護師の内診は当たり前だった

 私は看護師で集中治療室に5年ほどいたのですが、病院がNICU(新生児集中治療室)を持つことになり、管理職より助産師学校への進学を促されました。もし県内の助産師学校へ進学し、卒業後3年間以上の勤務を約束できるなら、休職扱いで給与の7割を頂けるとのことでした。
 ところが助産師学校の実習で助産院の出産に立ち会い、そこでお産への気持ちが劇的に目覚めてしまったのです。卒後、どうにかして助産院または自然なお産を取り扱う場所で働けないかと悩みましたが、給与を頂き、休職扱いを受けた身では、それはできませんでした。結局はもとの病院へ戻り、NICUの開設準備が進まず産科病棟、産科外来へ配属になりました。でも、経産婦さんでも会陰切開するのが当たり前の病院でした。経産婦さんは会陰が伸びやすいので、助産師の目から見ると切らなくても産めるように見える人が多いものです。一番の問題は、そのように問題意識を持ち、医師に意見する助産師が、次々に辞めていくという状況でした。病棟助産師と医師の対立は日常茶飯事でした。私も約束した3年の勤務後、結婚退職してしまいました。
 その後は総合病院の産婦人科に入りました。年間1500件のお産があり、助産師は40名以上は勤務していていろいろな経験ができましたが、その後、夫の転勤で小さな町に住むようになり、年間200件ほどのお産をしている診療所に勤めるようになりました。そこは助産師は私を入れて4名いましたが2名は70代で分娩にはタッチせず乳房マッサージのみの勤務でした。あとは看護師1名、准看護師12〜13名というスタッフ構成で婦長さんも准看護師さんでした。もちろん看護師、准看護師が内診をせざるを得ませんでした。分娩第2期に進んでしまえば看護師が診なければならないこともありました。ただお産をとるのは、法律上はもちろんこと、産婦さんの満足という面からも、先生でなければなりません。だから先生が手術中で手が離せないときは、赤ちゃんの頭を抑えておくのです。
  そこは産婦人科が少ない町でしたから、先生は本当に忙しくて、子宮筋腫など婦人科の手術も結構な数を引き受けなければなりませんでしたし、中絶もたくさんありました。応援してくれる医師がいませんから、当時は、帝王切開も先生がひとりでがんばってやっていました。今は、大学から応援医師が来てくれるようになったそうですが。

初めて「血のついていない赤ちゃん」を見て感動した准看さん

 看護師、准看護師の学校と診療所しか知らない人たちは、母乳や自然なお産についての体験や知識は少ないと感じます。准看護師の人たちは、高卒のとても若い人たちが多く、診療所の助手をしながら夜学で学んでいますから本当にその世界だけを見て育ちます。先生の言うことは絶対だと思う忠誠心を持っていて、何かあっても、先生が守ってくれると思っています。
 今も、たくさんの看護師さんたちが内診を続けていることでしょう。このような事件があってからは、不安になっている人もいると思います。でも、現場ではやらざるを得ない。それを思うと本当に胸が痛むのですが、時には自分の身を守るということも考えなくては。 それでも一度、私は、准看護師の人に自然出産を見せる機会がありました。医師が手術中に陣痛が進んできて、私はお母さんに「大丈夫ですよ、落ち着いてフーッって深い息をしていてくださいね‥‥」と声をかけていました。でも准看護師さんはドキドキしてきてしまうんですよ。パニックになり、手術室のドアを何度もたたきに行くんです。先生は出てこられるはずがないのですが。
 そのあと、私が赤ちゃんを取り上げました。もちろん会陰切開はなしです。ある程度経験を積んだ助産師には、医師がいないお産は別に不安ではありません。そのときに、准看護師の彼女は感動してくれました。切開した場合、赤ちゃんは血がたくさんついて生まれてきますが、切らなかった時の赤ちゃんはきれいなまま、お腹にいた時のままで生まれてきます。若い准看さんは、「血のついていない赤ちゃんを初めて見た」と、話してくれました。

潜在助産師は、妊婦さんとしっかり向き合える産院でなければ出て行かない

 その後私は夫の転勤や育児で、お産の現場を離れてしまいました。でも、保健センターの仕事はしてきました。それで広がった世界はとても楽しく、仕事の幅を拡げてくれました。それなのに、今、お産がないという欠落感のようなものがあるのは助産師としてのコンプレックスでしょうか。今回の事件を通じて、もしかしたら自分を必要としている場所があるのではという思いが、高まっているのかもしれません。
  でも、潜在助産師さんたちの多くは、私も含め家庭生活も楽しみたいという気持ちがどうしてもあると思うんです。子ども、地域の活動、趣味やスキルアップのための勉強などは簡単には手放せないと思うんです。ですから、現役並の復職は、非常にハードルが高いと思います。まずは無理せず仕事を再開できる場所を探すこと。そのうちに子どもも大きくなり、子離れの時はくるでしょう。そこまで細々と現場につながっていれば、やがて正職員並の勤務もできるのではないかと思います。
 また多分、充実感を得られる仕事でなければ出て行かないと思います。お産でいえばひとりひとりのお母さんとしっかり向き合わせていただけるのか?効率ではなくケアの質を高めたいという思いを、汲んでもらえるのか?医師、助産師、看護職がお産や母乳ケアなどに対して、共通の思いがあるか?助産師同志が、お互いに励まし合い、研鑚を積めるところなのか?それらは大きなポイントだと思います。
 それから、敷居がすごく低くなければだめです。復帰後、すぐに即戦力は無理です。1〜2週間でも良いので、助産師と一緒にダブル勤務にしていただくなどの配慮が頂けたら安心しますし、現役助産師さんのサポートとして働かせていただく間に、きっと知識や技術は思い出せると思うのです。私も子供が大きくなってきたしそろそろお産の現場に戻りたいのですが、もしそんな風にしていただけたらどんなに安心だろうと思います。

■助産師不足の分娩室で重圧に耐えられず、うつ病を発症

【潜在助産師】Aさん(32歳)

名前を見てもどんなお産をした人か思い出せない

 助産婦学校卒業後、総合病院の産科に勤務しましたが年間分娩件数が1200件くらいのとてもお産が多いところでした。しかし助産師の数が7〜8名と少なくて、あとはその同数くらいの看護師でやっていたのです。少ない助産師のひとりだということで、早く仕事を覚え、分娩介助など責任の重い仕事をどんどんして欲しいと要求されたのですが、先輩助産師は忙しくて飛び回っているし、教えてもらうゆとりがありません。
 4月に新人として就職してわずか2ヶ月後に、パニックになりそうな日がありました。分娩室には3台分娩台が並んでいたのですが、私は夜勤にたった1人の助産師として3人とも診なければならなかったのです。
 その病院も、私が入る前は7割が助産師だったのに結婚退職などが重なり、ピンチに陥っていました。助産師たちの間に「ここは、長くいるところではない」という意識があったように思います。忙しすぎたこともあって、そこのお産は機械的に数こなしいく感じでした。助産師にとって充実感がありませんでした。自分がお産をとったはずの産婦さんの名前を見ても、どんなお産をした人かわからないことさえありました。
 もう少し、先輩助産師に話を聞いてもらえたら、続けられたかもしれません。誰かに愚痴を聞いてもらった方がよかったかもしれません。でも勤めていると、つい求められていることを必死でするだけになってしまうのです。
 病気が少しずつ治ったので、最近、保健センターの新生児訪問を少し始めました。訪問の仕事は1人1人のお母さんとじっくり話せるので、いいですね。だんだん自分に合っている仕事がわかってきました。自分らしい助産師としていられる場所があれば、お産の場にも戻りたいです。

■大学病院の助産師ですが、まだ一度も産科勤務の経験がありません

【院内潜在助産師】Fさん(31歳) 

病院も世間も助産師が何をする人なのかわかっていない

 私は大学病院に勤務する助産師ですが、卒業してからまだ一度も産科勤務の経験がありません。一体いつになったら産科の仕事ができるのかと思っています。私が描いていたプランは、3年くらい大学病院で経験を積んでから個人の先生のところへ行き、ゆくゆくは開業したいと思っていました。でも助産師になって8年も経つのに、私には経験が全然ないままなのです。
 就職後すぐに配属されたのは皮膚科で、そのときはせっかくの機会だけからいろいろな経験をしようと3年間は異動希望を出しませんでした。その後希望を出したのですが、第二希望に書いた小児科に行けただけ。しかもそのとき、私が指導係をしていた同じ科の新人助産師は、一緒に異動希望を出して、すぐ産科へ行けたのです。これには、もうショックがダブルどころかトリプルくらいでした。小児科2年目にも異動希望を提出し、人事担当の責任者にも直談判しましたが、「希望はもっともだと思うが、できない」と言われてしまいました。
 今の病院をやめて個人病院や診療所に行けば確実に助産師として働ける、とも思うのですが、私のように卒業してから一度も働いていない人を、診療所の現場では一体誰がフォローしてくれるでしょう。助産師はまず大きな病院で実力をつけるのが普通で、診療助産師は、経験を積んだ即戦力を求めていると思います。まして診療所には「1人助産師」ということがありがちで、先輩助産師と顔をつきあわせて働けるというところは、少ないのではないかと思います。
 実は私の病院には、全体で650人くらいの看護職がいますが、私のような「院内潜在助産師」が他に何人もいるんですね。結局、病院も世間も、助産師が何をする人なのかわかっていないのだと思います。助産師が多い病院かもしれません。助産師学校の実習病院なので、就職試験にはたくさんの助産師が集まるところです。
 産科にいる助産師は異動希望を出さないですしね。空きがなければ移動できないのでいつまで今の状態が続くのかわりかません。

■助産師なのに、しばらく外科に配属されていました

【元・院内潜在助産師】Dさん(32歳)

混合病棟化にふりまわされて

 助産師になって6年半で今の産婦人科病棟に来ました。そして2年半ほど勤めたころ、空きベッドの効率的利用のため小児科との混合病棟になる一方、切迫早産・重症のつわりなど妊娠初期の入院は外科病棟に移りました。外科ではこれに困惑し、助産師が欲しいと言ってきて私が外科病棟へ配属になりました。そして最近、約10ヶ月ぶりで「小児科産科病棟」に戻ってくることができました。今は助産師、看護師15〜16名ずつの病棟で、年300人弱のお産を扱っています。
  外科の仕事も、亡くなる患者さんに接する経験を通じ「誕生と死は同じく尊いもの」ということを改めて感じ、助産師だけをしていたら十分できなかったかもしれない学びもありました。ただ、日本のお産の現場がこんなに切羽詰まってる時に、助産師の自分がここにいていいのか、とも思っていました。
  私の場合、妊娠初期の妊婦さんのナーバスな時期に接していましたから、その方の受け持ち助産師としてお産にもオンコール待機し、気心の知れた関係でおつきあいできればいいなあ、と思っていました。私はせっかく助産師で、病院も、月にすれば4000円程度ですが助産師には看護師より高い給料を払っているのですから、看護師と同じような仕事ではお金が生かせないと思います。
  同じようにもどかしい思いをしている助産師は全国にたくさんいると思います。私は割と早く産科に戻れましたが、なかなか戻れなかった場合、未婚の若い方なら診療所への就職活動を考える方も多いと思います。でも、病院を離れてしまうと収入が減ってしまうことがあるのがひとつの問題。家族がいて教育費を背負っている方の場合は、どうしても家計優先になってしまうのではないでしょうか。

■勤めていた産科が閉鎖になり、再開のメドは立たず

【院内潜在助産師】Bさん(30歳)

産科医が大学に引き揚げられて2年半が経過

 助産師になって日赤の病院に2年間勤務後、地元に総合病院が新しくオープンするため帰郷。そこで、産婦人科・小児科・眼科の混合病棟に配属されましたが、その中で産科だけが閉鎖になってしまいました。大学病院に医師が引き揚げられたからでした。
  助産師は師長を入れて4人いたのですが、2人は近くに個人産院がオープンしたのでそこへ移っていきました。師長は残り、そして私はちょうど産休に入るところだったので辞めるタイミングをなくしました。実は、産科は2年後には再開すると聞いたので、産休を1年とって、残り1年だけなら他科のことをしてもいいと思ったのです。ところが、2年半経過した今も再開のメドはまったく立っていません。私も産科のある職場に変わりたいけれど、いつが潮時なのか‥‥。
  このまま看護師で終わる気はまったくありません。でも、違うところへ移りたくても、助産師として働けそうな出産施設がないのです。診療所はありますが、助産師がほとんどいない診療所へ実際に行った仲間に聞くと、助産師いじめの話になるのでどうしても不安になります。助産師が5人くらいいればいいな、と思います。3人くらいだと、同じ勤務帯に顔を合わせないので1人と同じようなものです。実は、あと数年したら都市部に転居する可能性があるんですね。そのときにはいろいろな施設があるだろうから、きっと新しい職場を探すと思います。新しい職場が見つかれば、子供は2人いますが、勤務助産師を続けます。仕事と子育ての両立ポイントは、何と言っても夫や家族。うちの夫は、応援してくれるので、その点、私は幸せだと思っています。

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取材 2006年9月5日・6日
ご協力下さった助産師の皆様にお礼申し上げます。

●REBORNでは、潜在助産師さんたちを対象にしたコンテンツ「もう一度ミッドワイフ」をオープンしました。

●潜在助産師の皆さまが、ひとりでも多く妊産婦や育児中の女性のそばに帰ってきてくださることを、心から願っています。

■助産師の資格を取ろうと頑張る看護師さんもいる

●働きながらの受験勉強に苦労した末、ついに助産師資格を取得
【看護師として働きながら助産師資格を取得】Cさん(33歳)

現役看護師の意欲と経歴をもっと認めて欲しい

 一度は看護師として公立病院に就職したのですが、4年目に助産師学校受験を決心しました。2つの資格を持っていればキャリア形成の上で安心だと思いました。
 でも私は、2回受験に失敗してしまい、入学までに足かけ3年かかりました。病院は外科系病棟で忙しかったので、日勤の帰宅は夜の9時前、勉強を始められるのは早くて11時。うとうとしながらの勉強は身に入りませんでした。それで病院をやめたのですが、せめて休職扱いくらいにはしてほしかったです。結局、個人病院で夜勤のバイトをして勉強しました。
 経済的にも楽ではありません。看護師が助産師になる時の学費は親ではなく自分で出す人が多いと思いますけれど、就学している1年間の生活費も貯めておかないとなりません。学費は、私は最も安い県立の学校なので年間30万円くらいでした。でも私立の学校はもっと高いし、公立大学では50〜60万円、私立大学だと100万円以上です。
 また、学校の数が本当にないですね。大学で助産師教育を受けられるところは増えているけれど定員が少なく、現役の人と競うので大変です。働いている看護師の立場としては、職歴を評価してもらえたらどんなにうれしいだろう、と思うのですが。社会人枠を設けるなど働きながら勉強したいという気持ちを受けとめて欲しいです。今、ラクテーションコンサルタントの資格を取りたいと思って勉強をしています。母子の専門家なのだから、看護師の時と同じ気持ちではいけないと思っています。


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