産婆 助産婦 そして師へ

   河合 蘭      2002年4月

消えていく言葉「助産婦」

2002年3月1日、「保健婦助産婦看護婦法」の改訂により、「助産婦」の名称は次々と消え始めた。

 助産婦学校は、次々に名称を「助産師学校」へと変え、書類は混乱した。卒業の準備に追われる時期に施工された大改正だ。新聞社でも、用語統一をはかる部署は、社内に用語が変わることを通達した。(社)日本助産婦会も、「会の名称は固有名称なので、日本助産師会とするかどうかはまだわかりません。会員が五月の総会で討議して決定します」という。※

 
 
東京・黄助産院   撮影・河合蘭
「産婆」

 この職業は、かつては「産婆」と呼ばれ、明治の始まりとともに法制化された。そして第二次世界大戦後、GHQの保健行政改革のもとで「助産婦」と名を変える。以来、この半世紀は、日本が自宅出産の時代から病院出産時代へ、初産婦のお産から産科医のお産へと移り変わった時期であり、助産婦さんたちにとっては新しいアイデンティティーを探し求める模索の日々だった。

 病院という医師主導の組織に入り、助産婦さんが自分を見失いそうになるとき、「産婆」という名称は特別なものをもって響く。母親、赤ちゃんのふたつの命を背負って村々を奔走した産婆たちのスピリッツは、気概のある助産婦さんたちに助産婦本来の姿を確認させるものだ。毎年、助産婦ネットワークの草分け「ジモン」の主催でおこなわれる国際助産婦の日のパレードも、音楽はいつも産婆にひっかけた「サンバ」だ。

婆 ・ 婦 ・ 師

 しかし、この「産婆」という名称、出版界では打って変わって差別用語とされている。婆という字が問題なのである。若い産婆さんたちには、二十歳そこそこからおばあさんと言われたくないという思いがあった。手元の辞書をいくつか引いてみた。「婆(ばあ)」「ばば」「ばばあ」には、高齢の女性をののしる侮辱の意味がある。

 これに対して、助産婦の「婦」は、単に「成人の女性」という意味である。夫がいる女性、家事をになう女性という意味もあるが、侮辱の意味はどこにもなくなった。そして、さらに今回の「師」だが、これは「師匠」の師、「導師」の師であり、尊敬すべき人だという意味がある。さらに「医師」のように専門職であるという意味がある。

 一時期、男性助産婦を指して「助産士」という言葉があったが、「士」は男性という意味の文字だ。こうして考えると「師」は、性別を特定しないこと、尊敬の対象であること、専門性が高いことなどの条件をすべてクリアする最高の文字であるということになる。今回の改正は性差別の問題と共に、「専門家らしい名称にしたい」という願いもこめられていた。まさにその気持ちにこたえる字だ。

「見下ろされたくない」

 ただ、この喜ぶべき変遷には、落とし穴があるかもしれない。女性にとって、お産を併走してくれる人は、あくまでも身近な存在でいてほしい。もちろん、尊敬すべき、専門性の高い技術や知識を持った人であってほしいが、助産婦は、それだけでは助産婦ではない。姉や母親のように、気心を知り尽くした隣人のようにふるまってくれるのが助産婦だと思う。

 かつて「アクティブ・バース」が日本へ入ってきた時、いち早く実践し始めた愛知・マルオト助産所の鈴木美哉子さんがこう言っていたのを思い出す−「立ったりすわったりして産むと、助産婦がおかあさんの足下に跪くようになるので私たちは見下ろされるのよ。それを、ブライドがじゃまをしていやだと感じる人がいるの」。

 そのような助産婦は、組織の中でどのように地位を高めようと、女性たちからは尊敬されないだろう。私たち女性が助産婦を尊敬してきた理由は、医師への尊敬とは少し違う。足下で長い間ひざまづいいてくれるくらいの、徳と優しさと忍耐に対し、深い感謝と敬意を感じてきたのだ。それこそ、私たちが忘れかけていた価値だったから。

「産婆様」

 「産婆」は、本当に蔑称だっただろうか。だいたい地域の中では、産婆は「産婆」と呼び捨てられることは少なかったはずである。「お産婆さん」と、親しみと敬いの意味を込めた音を、上にも下にもつけて呼ばれた。私が15年前に青森で取材したとき、地元の女性たちは皆、70代の助産婦さんを「産婆様」と呼んでいた。女性は、産婆の時代から、いや産婆の時代にこそ、深くこの特別な役割の女性を敬っていた。

 古い文化の中では、畏れが怖れとなり、汚れ(ケガレ)へとつながることがある。「婆」という字に侮辱の意味があるとしても、それは畏れから転じたものかもしれない。婆はまた、梵語のbaを表す表音文字としても使われている。「娑婆」「卒塔婆」などという言葉にも婆が使われている。「婆」の本質はおそらく侮辱ではないだろう。また、ba は赤ちゃんが最初に発する音「喃語(なんご)」にもある。「ばば」は幼児語である。「婆」はすべての人が親しめるものを持っていた。 

「師」への反発

 女性とのあるべき関係を考えるとき、このたびの「師」に反発を感じる助産婦さんは、実は少なくない。「助産師になると、女性との距離が遠のく感じ」と言う人もいる。

 東京・日赤医療センター看護部の村上睦子さん(助産師)によると、法改正後も、センターは「助産婦の○○です」と妊婦さんに自己紹介をしてよいと考えている。公的な文書などでは師を使うが、妊婦さんたちの前では特に何も変えないという。「私たちの仕事は法改正後もなにひとつ変わっていないし、師と呼ばれたいという気持ちも特にありません。どう呼ばれたいかといえば、「助産婦さん」でも「助産師さん」でもなく、「○○さん」と名前を呼ばれる存在でいたい、と話しています」と村上さんは言う。このような現場は少なくない。

 今回はペンディングとなった男性助産士導入の問題もある。今回、この改正案は盛り込まれなかったが、「婦」が消えたことは、男性に門戸を開くことへつながっているように見える。男性助産士導入反対の人にとって、新名称を受け入れるのは難しいことだ。

再出発

  しかし、師という文字は、現実の中で助産婦の地位をもっと確立していくためには、おそらく有効だろう。これからの助産婦さんは、女性との二者の世界だけではなく、行政、病院など組織の中でももっと認められて欲しい。助産婦さんたちはみんなが目の前の妊婦さんに気持ちを集中するあまり、政治的世界で生き抜くことをあまり学んでこなかったと思う。

 今回の改訂で、助産婦さんだけではなく、看護婦さん、保健婦さんも名称が師になる。医師だけではなく、このような仕事の人たち、技師、薬剤師、サポートグループ等多様な人たちの力が強くなることが医療のヒューマニゼーションだ。 

 女性に向かってはお産婆さんであり続けながら、組織に向かっては力ある専門職−助産師は、そんな人たちであってほしい。

 

※(社)日本助産婦会は、2002年7月、(社)日本助産師会へと正式に名称変更をおこないました。


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