お猿さんを見ると、彼らの場合、子供が親にしがみつく。しかし人間の子は、自分で親にしがみつくことが出来ない。「しがみつきたいよ」と泣くだけで、親が「そうしてやろう」と思わない限り、横たわっているしかない。
動物園一番の人気者というのは、象でもライオンでもなく、猿山なんだそうだ。人間は、猿を見るのが好きだ。私は、特に親子ざるは、しげしげと見てしまう。いいなあ、あんな風に子供が勝手にしがみついてくれれば、楽だなあ。人間の母だって猿の母のように忙しいのだ。歩いたり、食事を調達したり、そればかりか人間は電話に出たり、宅急便に出たりするんだぞ。
ともかく人間の母は、1年間は何とかかんとかして、子供を自分の手でくっつけなければならない。ここで人間は思い思いのやり方で子供をくっつける、あるいはくっつけない、ということをやり出す。それは、民族、時代、流行など「文化」とよばれるあらゆる要素でくるくると変わる。
で、私の”流儀”はといえば、できるだけお猿の親子にちかづくことをよしとしている。くっつくという単純なことが、人間も含めたすべての哺乳類親子の一番大事な基本だと信じているから。肌身離さず抱くわけではないが、子供から「抱いて欲しい」とサインがあったらすぐに抱く。
私は、母乳で育てるというのは、こういう生活をすることだと解釈している。確かに母乳という物体は飲ませるわけだけど、それは、だっこの最中に自然に起きることだと感じている。だから、一日何回呼吸したかわからないように、一日何回授乳しているかと聞かれてもわからない。
この感覚は、知る人ぞ知るアメリカの授乳ウェア「マザーウェア」(いいお産の日に来た方は、ラ・レーチェ・リーグのブースでおなじみですね。)を着始めてますます強くなった。これは、アッと驚く仕組みが隠されたシャツで、慣れれば授乳には数秒あれば十分、しかも授乳していることがほとんどわからずどこでも授乳OK、というもの。限りなくお猿さんの胸にちかづくのである。この会社を起業したのは、もちろん、母親である。
仕事もしたい私にとって、マザーウェアはまさに福音だった。今、私は子連れ仕事をしているが、取材先でも、都心へ1時間かかる電車の中でも授乳している。昨年末、某新聞の記者が母乳について話を聞きたい、というので、私はマザーウェアを着て行き(毎日これしか着ないんですが)、得意になって見せた。まだ子供もいない男性だったが、彼は「うーん、これはすごい!」とうなってくれた。(続く)
REBORN第14号(1997.1)より |