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スペシャル・ギフト

養子を母乳で育てる 

 
ジュリー・ブシェット・ホルヴィッツ
(国際認定ラクテーション・コンサルタント/バース・エデュケーター/ドゥーラ/ラ・レーチェ・リーグ・リーダー)

A Special Gift -- Breastfeeding an Adopted Baby
by Julie Bouchet Horwitz
photos by Dyana Van Campen
tranlated by Ran Kawai

養子の赤ちゃんを母乳で育てる−−そんなことができるなんて、あなたは知っていましたか。それも、特殊な薬を使ったりするわけではないのです。私はこのことを知ったとき、女性のからだと愛情の強さ、深さを感じました。そしてそこには、母乳育児が難しい人がそれを克服するために考えられた、たくさんの、もっと普及して欲しい知恵があります。育児に関わるすべての人に読んでいただきたいストーリーです。

訳・河合 蘭
イラスト
:宮下真沙美


この記事は米国の育児雑誌『Mothering(マザーリング)』2001年2月号に掲載されたものを、同誌、著者、写真家の許可を得て翻訳しました。 Mothering ホームページ http://www.mothering.com

 


 それは、クリスマス・イブの夜でした。暖かく明るく燃えている暖炉の前には、四つの靴下がぶら下がっていました。ひとつは夫ビルのもの、ひとつは私のもの、もうひとつは9才の娘マーゴットのもの、そして名前のない4番目の靴下は、我が家への到着をもう何ヶ月も心配しながら待っている養女のものでした。

 マーゴットは私たちの最初の結婚記念日直後に生まれたにもかかわらず、ビルと私は、まだ、次の赤ちゃんを待ち続けている状態でした。養子をもらおうと決心したとき、私たちは中国からもらうことになりました。そして、ある特別なことをしようと心を決めていました。私は、その子を母乳で育てたかったのです。

私はマーゴットを母乳で育て、絆を結び、はぐくむことをとてもたくさん楽しんだので、同じ親密さを新しい赤ちゃんとも分かち合いたかったのです。私は、養子にもらった赤ちゃんを母乳で育てた女性のことを聞いたことがあり、自分にもできないかしらと思っていました。しかし一体どうやって、妊娠もしないで母乳をあげるなんて、私は何をすればいいのでしょう?


 母乳分泌を起こすには、乳腺が刺激されなければなりません。これは通常、赤ちゃんが吸うことで成されます。刺激は、母親をリラックスさせるホルモンであるプロラクチンを放出させます。プロラクチンが血中に増えると、体は母乳を作り始めます。ほとんどの養母は、母乳だけですむほどたくさんは分泌しません。でも、ほとんど全員に近いくらいたくさんの人が、いくらかの量は出ます。つまり、母乳をあげる選択をした養母は、たぶん、母乳にミルクを足すという形になります。


 養母は、赤ちゃんがやってくる前に、母乳を搾ることでいくらかの母乳分泌を確立しておく選択もできます。私も、しました。私は両方を一度に搾れる搾乳器を使い、日中は2〜3時間おきに10〜15分間、できるときは夜間にも1回、両方の乳房を搾乳しました。すると1週間もしないうちに、いくらかの母乳分泌が見られるようになりました。


 ただ、母乳を誘うため事前に搾乳しておくことは必ずしも必要ではありません。ただ、赤ちゃんを2〜3時間に1回吸わせるだけで同じ結果が得られるからです。母親がそれを強く望むのでない限り、私はこれは奨めません。やってみると、時間がかかるし、疲れるし、おまけに大した効果はありませんでした。


 搾乳を始めて2週間が経ったとき、私たちは新しい娘の医学的な記録と一枚の写真を受け取りました。彼女は生後3ヶ月で、上海の西400マイルの小さな町にある孤児院にいました。彼女を連れてくるのに必要な法的手続きは、最低1ヶ月かかるようでした。これは、私がこれから直面するのは、人生の4ヶ月を施設の中で、ほ乳瓶による授乳で過ごしてきた赤ちゃんに母乳をあげるという挑戦だということを意味しましたが、ひるむ気持は起きませんでした。私たちは、赤ちゃんにオリビアという名前をつけました。彼女は健康で、美しく、もうすぐ私たちの腕の中にやって来るのでした。


 地球を半周も旅して、ビル、マーゴット、そして私はホテルにたどり着き、オリビアに会う準備はできました。3日後、私たちは、新しい娘がまさにその瞬間に、ホテル2階の会議室にいることを告げる電話をもらいました。階下へ駆け下りると、私たちは、中国の着物を重ね着した間から顔をのぞかせている小さなオリビアを初めて見ました。彼女はマーゴットに渡されました。私たちは、彼女が一番先に抱くことを約束していたのです。それから私たちは目を合わせようとしましたが、オリビアはそっぽを向いていました。しかし十分にゆっくりと見つめていると、一瞬彼女の顔に笑みが浮かびました。


 授乳しようと、私たちは部屋に戻りました。孤児院で、彼女は、午前6時から午後6時までの間だけ4回ミルクをもらっていました。夜間は何ももらえませんでした。4ヶ月になっているのに、オリビアは、わずか9ポンド(約4kg)しかありませんでした。私は彼女がまず母乳を受け入れるかどうかを見ようと、すぐ授乳してみることにしました。赤ちゃんというものは、栄養をとることの必要性と同じだけ吸いたいという欲求を持っています。大変ホッとしたことに、私が乳首を差し向けてみると、彼女はさっと吸いつきました。


 養母の大半は、赤ちゃんの栄養的ニーズを満たすほどの母乳は産生せず、ミルクの補充を必要とします。乳首の混乱を避けるために(赤ちゃんはほ乳瓶では本物の乳首を吸うのとは違った吸い方をします)赤ちゃんにおっぱいを吸わせつづけたままミルクを飲ませられる補助具を使うことができます。私は「補充物授乳システムSupplemental Nursing System(SNS)という市販の商品を使いました。SNSは、母親が特性の軽いプラスチック・ボトルを首からぶら下げて使います。ボトルにはごく細いチューブが取り付けられていて、それをテープで母親の乳房に貼ります。赤ちゃんが乳房に吸い付くと、同時に、ボトルからはミルクが口に入ってきます。母親が母乳をたくさん作れば作るほど、赤ちゃんがSNSから飲むミルクは少なくなります。また、養子の赤ちゃんは、SNSを使えば、母乳がまったく出ていなくても、養母のお母さんのおっぱいを飲むことができるでしょう。


 養子の赤ちゃんにおっぱいを上げるとき、母親は、食事としての授乳では毎回SNSを使う必要があります。しかし、食事のあいまには、ミルク抜きでおっぱいをあげることができます。私は2時間ごとにオリビアにミルクをあげました。もちろん、このスケジュールでは、一日に何時間もすわりこんでおっぱいをあげなければなりません。でも、それは正常な産後の時期のレプリカ(模写)なのです。休憩を取り、ヘルシーで栄養のあるものを食べ、水分を摂り、そして一日中おっぱいをあげているのが母親というものです。


 オリビアが初めてSNSを使ったときは、ちょっと戸惑いました。チューブを上手く使ってミルクを流すコツを覚えるには少し時間と経験が必要でした。4オンスのミルクを飲んだあと、オリビアは吐きました。孤児院で彼女を見ていた人は、私に「この子はいつも吐く」と警告してくれていました。それで私は、一回に飲むミルクの量が少量になるようにしたのです。これで問題は解決しました。


 オリビアと私はだんだんSNSをマスターしていきました。彼女は頻繁におっぱいを飲みました。しかし、以前ほ乳瓶で飲んでいたので、舌の使い方がうまくありませんでした。これは乳首がひどく痛む原因になる上に、舌の使い方が違うと乳管を刺激しないのです。舌は、乳管を絞るためには、下の歯茎の上まで出さなければなりません。でもオリビアの舌は、奥に巻きあがっていました。疲れ果て、私の体は母乳の製造をストップしてしまいました。オリビアに正しい飲み方を教えるため、ラクテーション・コンサルタント(母乳育児のコンサルタント)が指を使った吸啜トレーニング「フィンガー・サッキング・エクササイズ」のやり方を教えてくれました。私たちは食事の度にSNSを使い続け、やがて、母乳が戻ってきました。


 私の体が果たしてどれくらいの母乳を作っていたのか推定するのは難しいことです。オリビアが飲んだミルクの量からすると、私はおそらく彼女の必要量の1/4くらいをになっていたでしょう。当初は、すべて母乳でできるまれな女性のひとりになりたいと思っていたものの、私は、どんな形であれ私の赤ちゃんにおっばいをあげられたことを嬉しく思いました。私が養子に母乳をあげていて補充もしているということは、近所にも口コミで知れ渡りました。すると、9人のお母さんが現れて、1年もの長きに渡り母乳を寄付してくれました。それは栄養であると同時に愛の贈り物でした。私が感じていた感謝を言い表す言葉はありません。


 すでにひとりの子を母乳で育てていた経験から、私は、赤ちゃんがどれだけ吸うことが好きかは知っていました。しかしオリビアは、栄養をとるためにしか吸いませんでした。私は、彼女に、SNS抜きで、楽しみのためにも吸ってほしかったのです。私は自問しました。もし赤ちゃんがおしゃぶりが気に入って好きになるものなら、ソフトで柔軟な、時々甘いミルクが出てくる乳首を、どうしてオリビアは楽しみとして吸わないのでしょう。ある時、彼女が授乳のあとで眠たくなった際に、私は、彼女の口からSNSのチューブをそっと抜き取りました。そして、彼女を「ベビー・バンドラー」というスリング(1枚の布でできただっこバンドの一種)に入れました。スリングは肌と肌の接触をしながらいろいろなことができます。私は歩いて寝かしつけ、その間、ずっとおっぱいをあげ続けました。こうしていくうちに、少しずつ、彼女は心が安らぐための授乳も受け入れ始めました。


 他にも越えなければならなかったハードルはたくさんありました。孤児院のケアで条件付けがされていて、オリビアは少しうち解けにくい、人と距離を持つところがありました。私が胸に抱こうとすると、オリビアはよくのけぞって、腕から抜け出そうともがきました。彼女は布で巻かれてひとりで眠ることに慣れてしまったので、私たちがしてきた、揺する、歌う、抱くといった眠りを誘う方法は効きませんでした。ビルと私は私たちの赤ちゃんと一緒に眠りたいと思いました。自分の育児スタイルが彼女と合わないことにフラストレーションを感じました。


 私たちは、解決策を見つけようと必死になりました。ビルは、ベッドで、優しく腕をさすりながらオリビアのとなりに横たわることで、彼女に受け入れてもらおうとしました。私は、片腕で彼女のからだを丸めるようにして運ぶことを学び、彼女が胸の抱かれることを心地良いと感じるようになるまでそうしていました。次第に彼女は私たちが触れること、私たちのリズム、そして私たちの声に何かを感じてくれるようになりました。より頻繁に胸の中で眠りに落ちるようになり、やがてそれを楽しんでくれるようになりました。だんだんと、彼女が守っていた距離は溶けてなくなり、オリビアは私たちの家族の中へさらに完全に溶け込んでいきました。


 オリビアは、幼児時代になると、固形物も食べ、コップからも飲みましたが、おっぱいもしょっちゅう飲みました。しかし、残念なことに、彼女はSNSから温かいミルクを飲むのが大好きでした。私はSNSをやめて欲しいと思いました。そうすれば、私はボトルやらチューブやらから解放されます。ある日、うっかり、寄付された母乳で初乳がたくさん入っているものをボトルに入れてしまった時のことです。オリビアは、いつもと違うその味を感じると、眉をしかめました。これが私に、小さなアイディアをくれました。私はチューブを引きあげ、彼女に、ボトルのミルクなしのおっぱいを受け入れてもらえるよう、静かに促しました−−「かわりに、ママのを飲みなさい」。それから24時間経たないうちに、オリビアはSNSを断ちました。


 今、オリビアは、明るく、愛情深い、優しい、人生への旺盛な好奇心に満ちた子どもです。私たちが克服しなければならなかった問題はたくさんありましたが、これはそれ以上に値します。私たちの授乳関係は長く続いたので、オリビアは母乳の記憶をとどめています。私は、その記憶が、彼女が新生児の時に遺棄された体験を消化していくのを助けてくれることを願っています。彼女を抱きしめてたくさんキスする時、私たちが成し遂げたことを思うと驚いてしまいます。私たちはぴったりとくっついていて、それがいつも宝物です。

 

訳注

◆SNS  スイスの育児用品メーカー・メデラ(株)が製造しています。養子の授乳時だけではなく、実母の母乳不足や未熟児の赤ちゃんにも有効で、一部の母乳育児に熱心な産院で使われています。 メデラのホームページhttp://www.medela.co.jp/

◆吸啜トレーニング 赤ちゃんの口の中に指を入れて正しい舌の使い方を教えるトレーニング。ゴム乳首の使用により母乳に適した舌の使い方ができなくなった赤ちゃんをなおすためにおこなわれます。日本でも一部の母乳育児に熱心な専門家がおこなっています。

◆ラクテ−ション・コンサルタント 母乳の専門的なコンサルタントで、米国では病院にいることが増えてきました。国際的な認定制度があり、認定された人は国際認定ラクテーション・コンサルタント(IBCLC)と称しています。日本でも1999年に日本ラクテーション・コンサルタント協会が発足しました。2001年12月現在で24名の日本在住の認定者がいます。(2001/12現在)。
・日本国際ラクテーション・コンサルタント協会(JALC)ホームページhttp://www.jalc-net.jp 
・国際ラクテ−ションコンサルタント評議会ホ−ムペ−ジ(英文)http://www.iblce.org/index.htm


 

著者プロフィール
ジュリー・ブシェット・ホルヴィッツ Julie Bouchet Horwitz 


国際認定ラクテーション・コンサルタント/バースエデュケーター/ドゥーラ/ラ・レーチェ・リーグ・リーダー  裁縫師で熱心なガーデニング愛好家。"The Empowerment of Childbirth"という本を執筆中。ニュー・ヨーク州ニュー・シティーに弁護士の夫ビル、14才のマーゴット、5才のオリビアと在住。

 

写真
:ダイアナ・ヴァン・キャンペン Dyana Van Campen

この記事は、バース・エデュケーター飯村ブレットさんと日本ラクテーションコンサルタント協会・金森あかねさんご協力いただきました。