●清潔を追求した時代
私が医師になって東大病院産婦人科に入局したのは1956年ですが、その頃はお産の大きな変わり目でした。出産も手術と同じように清潔な環境でやろう、赤ちゃんも胎内の保護された環境から出てきたばかりだから、面会人から病気を移されたりしないように新生児だけの部屋を作ろう、と考え始めた時期です。
当時の東大病院では、すでに母子分離が始まっていました。でも、それ以前はどこも母子同室だったわけですから、広い新生児室を作るのは大変なことでした。ですから、収容しきれない赤ちゃんがでることもあり、そういう赤ちゃんは、以前どおり、お母さんのベッドで一緒に寝ていました。
新生児室を作れば専任のスタッフも必要となり、これも医療者の悩みでした。
正常な赤ちゃんは母親の付属物扱いで制度上ベッド数に数えられないのです。結局、多くのところは病院が建て替えの時期を迎えるまで我慢して、やっと立派な新生児室ができました。
今思えば、清潔についての価値観が変化した時代だったと思います。内診なども手袋を使いませんでしたが、それは不潔を気にしないからではなく、素手の感覚を使って、きちんと内診所見を採るためでした。ただ当時は産褥熱も多く、意識の上でも「細菌感染は文明国らしくない恥ずかしい問題」という感覚があり清潔を強調する方向へ向かったのでしょう。
●家族の中の赤ちゃん
同室制が見直される今も、感染、母親の安静、事故などを心配して、ためらう医師は少なくありません。また大部屋では、赤ちゃんのコットを入れる余裕がないところも多いはずです。
加えて今は、家族の中で育児や母乳の知恵を伝える時代ではなくなり、助産婦や看護婦がその役目を担っています。
同室制では、決まった時間にお母さんたちが授乳に集まって集団指導ができる別室制より手間がかかります。
かつて私たちは、母子別室制にするためにスペースと人手を捻出する苦労をしました。それが今は、母子同室に戻すために、また同じ努力が必要なんですね。それだけケアの内容や入院環境に対する考えが変化しているということです。
私が母子同室制の良さを一番感じるのは、家族みんなに囲まれた赤ちゃんを見るときです。赤ちゃんを隔離してしまうと、赤ちゃんとお母さんとの関係に限定されてしまいますが、入院生活は、赤ちゃんを新しい一員とした家族のスタートなのですから。
文/河合 蘭
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『REBORN』12号(1996年7月発行)に掲載したものです。
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