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母乳育児希望を出していたのに・・ |
●初めてのお産 個人産院にて |
分娩台にあがってから2時間で出産したのですが、その間、助産師の方が早くきりあげたそうな態度がみえみえで、嫌だった。 カンガルーケアをうたっている病院なのに、赤ちゃんをすぐに抱っこできなかった。なんだかんだ処置された後にやっと抱っこできた。 私は生まれてすぐに抱っこできると思ったのに・・・ 出来る限り母乳で育てたいと思っていたので、出産1日目の早朝、歩くのもやっとの体でベビー室に赤ちゃんを見に行ったら、ちょうど自分の子供が抱かれもせずに、ただベットでミルクを飲んでいるところだった。 自分はここにいるのに、ガラス越しに時間ごとにミルクを飲んでいる子供・・・・すごくショックを受けた。 その病院は2日目から母子同室でしたが、体はつらかったが1日目から同室にしてもらった。母乳育児希望を出していたのに・・・・ (2007年5月) |
適切な説明もなく放置されました |
●初めてのお産 個人病院にて |
初診から自宅に近い個人産婦人科に通っていて、そこでの分娩を希望していましたが、毎回の検診で、医者の対応に不満が募っていきました。 頭や胴回りの大きさで体重を推測されるとき小さめだったらしく「異常」ですねといわれたり、前期破水し入院したときは,適切な説明もなく放置されました。 高熱も出て3日間の陣痛に耐えた矢先には、初めて院長が現れ、 感染の可能性があるから大きな病院に転院しましょう・・と。 陣痛のピークを迎えている私はその言葉に耳を疑いました。 そして転院して一時間後無事出産しましたが、やはり胎児感染しており、入院を余儀なくされました。 もう少し早い決断や対応ができなかったのかと不満でいっぱいした。 次は絶対に大きな病院で出産したいと思いました。 |
医療者は誰も危機感をもっていなかった |
●出産回数3回 大学病院にて |
胎児心拍異常が疑われ陣痛が付く2日前より入院。入院中は異常なく陣痛が発来したものの、全開大から2時間経過しても胎児の降下が見られない。激しい腰痛のためうまくいきめず、分娩台に座り続け、体力気力とも限界だった。 その最中医師が別の救急患者のため不在となった。若い助産師が陰部の浮腫を押さえながら横に座り、私は腰痛で叫び続けていた。我慢できず「先生は」と尋ねると「救急車がきてるからダメ」ととがめられただけ。気が遠くなりかけた時、交代助産師が「寝た?」と私を見て笑いながら入室。それに助産師はふふふと笑いで答えた。 その30分後胎児心拍が急変し、私は酸素吸入を受け、別の医師が呼ばれ、何とか吸引出来る位置まで下降してくる様に、初めて呼吸法を試された。しかし心拍は更に悪化し、帝王切開のための母体の心電図、胸部レントゲン等の準備がされた。心拍異常から2時間後手術室開始。重症仮死で出生。小児科医による蘇生が行なわれ、9分後呼吸が戻るものの、脳の損傷が強く人工呼吸器による管理が必要の状態。 2年が過ぎ、確実に成長を感じられるが、泣かない飲まない肢体不自由は変わらない。 |
臨月で通っていた産科が休止になり・・・ |
●出産回数1回 総合病院にて |
臨月に入ってすぐの検診でのことです。 唐突に通っていた市立病院で産科が休止になるので分娩不可と言われました。 あまりの突然の通告に初産で産み月の私はパニックに。 妊娠期間中で最も不安に陥った瞬間でした。 斡旋された3つの病院はいずれも遠く、知り及ばないところばかり。 自営業をしている私は外観でだけでも斡旋先の病院の雰囲気をつかもうと閉店後の深夜、主人と車で見に行ったりもしました。 結局車で40分の隣市の病院で無事出産出来ましたが、「元気に生まれるかしら?」や陣痛への恐怖などより出産そのものが出来るかという不安にさいなまれるとはよもや思ってもみませんでした。 あの時私のような境遇をしいられら60名の妊婦さんは無事出産できただろうかと今もふと考えます。 最近問題になっている産科閉鎖ですが そんな状況下で激務に耐え、尊いお仕事をなさっている産科及び小児科の先生方、 助産師のみなさんには頭の下がる思いです。 (2007年8月) |
お腹が空いてずっとずっと泣き叫んでいた。 |
●出産回数1回 |
妊娠を望んでいる期間、REBORNで紹介されている本をあれこれ手にとり、自然出産・母乳育児推進にこだわって病院も決めた。 いざ、陣痛が始まってみると緊急帝王切開術を余儀なくされた。出血量が多かったからなのか、術後数日の記憶は定かでなく今思うと朦朧としていた。 その間に子どもの体重がどんどん減っていた。そして転院。診断名は脱水による体重減 少と強度の黄疸。赤ちゃんは3日分のお弁当と水筒をもって生まれてくると聞く。でも我が子は、4日経っても5日経っても、ママの乳首をオッパイを認識できず、医療者から糖水やミルクも補充されず、脱水になった。嘔吐や下痢はない。飲みたがらないのではない。お腹が空いてずっとずっと泣き叫んでいた。丸々とした皮膚にはしわが入り、頬はすっかり細くなり、ぐったりしていた。 生まれて間もない子にこれほどまでの試練を与える必要はあるのか?? 母乳育児推進、母子同室のデメリットをこの子は背負ったように思う。 親である私は、何故疑問に感じ、声をあげなかったのか。悔やまれてならない。 「この子にミルクを与えてください」「数日この子を預かってください」と。 (2006年4月) |
産んだ直後に伝えなくても・・・ |
●初めてのお産 個人産院にて |
予定日超過で誘発分娩目的で2泊3日入院したけど結局産まれなかった。 出産された方の旦那さんが大声で電話していた。 「予定日よりも10日早かったけど元気な女の子やわ。」 私は促進剤の種類をかえてもダメだったのに。 私の体はちゃんと子供を産んであげることはできないの?という気持ちになった。 いろんな産婦がいるのだから電話するなら人のいないところでしてほしかったな。 あと促進剤を打っている私に助産師の「早く出ておいで」もうっとおしかったです。 13日遅れで産んだ息子と対面したときは、人生でこんなうれしいことってあるんだと思った。 でもその後、医師からすぐ「産道が硬く会陰の伸びが悪かったので深めに切った」と言われた。 介助の助産師がその言葉を繰り返した。 息子を産んでうれしかったけど産んだ直後に伝えなくても・・・ しかも助産師は茶化したように言った。 私が医療従事者だから軽く言ったつもりだったかもしれないが。 (2006年2月) |
一人で陣痛をこらえていました |
●出産回数1回 (個人産院) |
つらかったことは、分娩室でたった一人で陣痛をこらえいきみをこらえていなければいけなかったこと。 看護師さんでもいいからそばにいて、マッサージをしてくれるとか、声をかけてくれると、もう少し楽だったのではないかなと思いました。 一人で声も出さず必死にこらえているのは、とてもつらく寂しいものでした。 出産直後も、産んだばかりの我が子をほんの一瞬しか見ることができず、すぐに連れて行かれてしまいました。 分娩直後は、興奮してたこともあって、そんなもんなのかなぁなんて思いましたが、今考えると病院側の態度はちょっと冷たいんじゃないかなぁと思いました。 あと、産後の授乳の指導があったのですが、母乳の飲ませ方の指導ではなく、ミルクの飲ませ方の指導でした。 最初からミルクだったので、子供がおっぱいを口に入れるのを嫌がってしまい、結局母乳での育児ができなくなってしまいました。 母乳で育てたかったのに残念です。 |
涙、涙でくれた一年でした |
●出産回数1回 |
6時間の陣痛は一人で耐え、主人は間に合わず出産。何の断りもなく、勝手に会陰切開・吸引処置。羊水が汚染されてることについて「俺はいいかげんな仕事はしてない!今になって(この事実を)心配しとか!」と激高するあまり。 産後は「医師を怒らせてしまった」と医師に「すみませんでした」と何度も謝る私。 子供に対面できず泣いてる私に対し看護師は「とってもいい先生よ」と私の味方についてくれず。 涙、涙でくれた一年でした。 私のお産を返してください。子供にも謝ってください。誰か、こんな経験をしても、1年2ヶ月完全母乳で頑張ってきた私を褒めてください。 私は妊娠中も切迫で安静生活をし、最後まで吐いたり味覚がなかったりと、本当に辛い生活でした。赤ちゃんとの対面を楽しみにひたすら頑張ってのに・・・ 一年経っても、傷は癒えることはありません。 |
母乳育児を推進していると言っていて、矛盾している |
●出産回数・1回 |
T総合病院。外来の内診台が古くて汚い。 内診台に乗って、股を開いている足元をいろんな人が行き来する。 数分診察をしたら流れ作業のように終わってしまう。 W医師が助産師さんにセクハラしていた。お尻を触ったり「今夜旦那さんとエッチするの?」と聞いていた。 I医師は、以前に医療事故を起こし、訴訟され関東圏に居られなくなり、こちらに来たそうです。今でも時々失敗をして、助産師さんがフォローしているとか。 助産師さんも、傲慢でタメ口の助産師や、嫌味ばかり言う助産師が居ます。 優しい助産師さんも居るのですが、その人に当たるか当たらないかはロシアンルーレット。 夜勤は助産師一人なので、お産になってしまうとおっぱいを全く見てくれない。それなのに、母乳育児を推進していると言っていて、矛盾している。 出産の時も同様。夜生まれることになれば、授乳介助をしながら陣痛室や分娩室にくるので、独りぼっちにされ腰をさすってくれる人も居なくて、孤独に痛みに耐えなければいけなかった。 施設も古く、今の時代で6人部屋。カーテンを開ければ、すぐに隣のベット。 二度とこんなところで産みたくありません。 産院情報について・・・ 良い産院情報だけでなく、悪い産院情報も是非欲しい。 自宅から近いからと、上記の病院を選んだのですが、病院のHPには優しそうな医師が写っているし、妊婦健診に行っているだけでは、病棟の様子がわからない。 母親学級などで病棟の様子を話してくれるが、スタッフの言っている事と、体験者のメッセージは全く違うと思います。 |
「フリースタイルで産むことは、他の人には言わないでくださいね」 |
●出産回数・1回 |
はじめに、お産全般に関しては満足しています。 でも、満足しているがゆえに、ちょっと悲しかったできごとがあります。 私は、フリースタイルでの出産をしたのですが、その病院では基本的にはフリースタイルは実施しておらず、 ある助産師さんから、「フリースタイルで産むこと(産んだこと)は、あまりほかの人には言わないでくださいね」といわれました。 確か、30週は過ぎて、お産ももうすぐという時期の健診のときだったと思います。 その助産師さんサイドの理由もある程度推察できたし、自分が特別にフリースタイルを認めてもらったということもあって、 その場は「わかりました」といってしまいました。 でも、その病院主催の母親学級で仲良くなったお母さんたちとは、妊娠中も出産後もよくお産のことが話題になったので、 意識的に隠さなくてはいけないことに違和感というか、罪悪感というか、モヤモヤした気持ちを持ちました。 私自身は、とてもいいお産だったからその経験を人に話したいし、隠すことでせっかく幸せだった体験が何か後ろ暗いもののように感じてしまうことが悲しかったのです。 今となっては、言われたときに素直な気持ちをお話しておけばよかったなと思っています。 その助産師さんは、私を不快にさせるつもりはまったくなかったと思いますし、 私が気持ちを飲み込んでしまったことで、本当はこんな風に思っていたことを伝えられなかったことが心残りです。 今後彼女がお世話をする妊婦さんたちのためにも、ふとした言葉が、産む側にはこんな気持ちを引き起こしてしまうこともあるということを、 知ってもらえたほうがよかったなと思っています。 |
帝王切開中に、執刀医たちが飲み会の話で盛り上がっていました |
●出産回数・1回 |
私の場合緊急帝王切開になったのですが、手術中意識は多少朦朧としてましたが耳は聞こえていました。 やけに楽しそうな声がと思って聞いていたら執刀医の女医&女医より上の医者&助産婦が飲み会の話で盛り上がっていてしばらくしたら麻酔科の医者に「おしゃべりはそこまでで手を動かす」といわれていました。すごく悲しい気持ちになりました。 手術後は麻酔の影響で3日間足が動かせなくなり、普通分娩の人にはする入院生活の説明も帝王切開の人にはありませんでした。 |
「薬の量が増えたんだから、痛いのは当然でしょ」 |
●出産回数・2回 |
長女を妊娠8ヶ月の頃切迫早産で入院中ウテメリンが増えたとき副作用で苦しくなりナースコールをしたら「薬の量が増えたんだから当然でしょ」冷たくあしあらわれたことがありました。 結局医師が来てくれて薬の投与で症状は治まりましたが私がナースコールをしたのは苦しいからなのに何で様子を見てもらえないの?私は面倒なだけな患者なの?と辛く悲しい気持ちになりました。なんの処置が出来なかったとしても「辛いよねぇ、薬の量が多いもんねぇ」と言ってもらうだけでも私の苦しさはおさまったかもしれません。 |
内診台の向こう側をスタッフが行き来していた |
●出産回数・3回〜 総合病院での体験です |
検診で、内診台にのって先生が来るのを待っている間、股の向こう側をスタッフが行き来しているのがとても嫌だった。スタッフの方々は何も感じないのでしょうけれど、私はなんともいえない情けない気持ちになった。 |
「逆子になったのは夫婦仲が悪いから」と言われて |
2回目のお産 助産院から病院へ |
家族の立会を考えていたので 助産院で産みたいと思いました。 しかし、逆子がなかなか直らず、直ったと思ったら、また逆子に。 そこの助産師さんいきなり「夫婦仲が悪いから逆子になるのよ。」と 上の子の事も批判もされ、心身共にボロボロで私出産できるのか・・・というほど落ち込みました。 助産師さんってお産を助けてくれる人ですよね。 急いで他の助産院を探しました。 そこの助産師さんは、「逆子が治らないということは、何か身の危険を感じているから(たとえば へその緒が撒きついてしまうとか)そういうことだから、赤ちゃんの意思を大事にしましょう。」と逆子でも自然分娩にチャレンジできる産院を紹介してくれました。 逆子での出産でしたが、1時間30分の安産でした。 |
職業差別を受けました |
●妊娠中です 助産院にて |
今妊娠中で、5カ月目です。先日、都内にある助産院へ見学に行きました。 母子手帳の職業の欄に自営業と書いていましたら、具体的な仕事を聞かれました。素直にマスコミ関係ですと答えたら、「そういうお仕事をしている方は情報収集能力に長けているけれど、自分にとって都合のいい情報だけを選別して解釈する傾向がある」と言われました。職業差別を受けた気がして、大変ショックでした。 そのあと、いろいろと話をしましたが、正直、このひと言を言われてから、頭のなかが真っ白になってしまい、ほとんど覚えていません。確かに、そういう面があるかもしれません。でも、仕事でもプライベートでも、そうでないよう、客観性を持つように心がけてきました。初対面で、助産師さんとお会いして数十分しか経っていないのに、 唐突にそう言われて、本当に落ち込みました。 もしかしたら、きちんと自分の気持ちを伝えられなかったかもしれないと反省しています。でも、それを差し引いて考えても、ショックのほうが大きいです。あれから半月経ちますが、少しでもお腹がはったり痛くなったり、具合が悪くなると、そのときのことを思い出してしまい、落ち込み、涙が止まらなくなることもあります。 「1人目は病院で、2人目を助産院で、3人目を自宅で産むのが理想的」とその方はおっしゃいました。でも、今お腹にいる子はもちろん、2人目も3人目も、この方に取り上げてもらうのは心底嫌だと思いました。 助産院での出産を経験した方は、羨ましいほどステキな感想を話されることが多いですよね。 でも、なかには、苦い経験をした方も結構いるのではないかと思いました。全ての助産院、助産師さんがこのような言葉を投げかけるとは思いませんけれど……。 |
着ているものなんてそのままでもよかったのになあ |
●出産回数・2回 |
分娩時間6時間の安産でした。 助産院についたら8cm開大。1時間で生まれました。 お年を召した大先生(助産婦)が横に付いてくれて、優しい助産婦さんが取り上げてくれて、申し分なくいいお産でした。 一つだけつらかった事が。 それは、助産院に着いて一番つらいときに、着替えさせられたこと。 痛いときに脱いだり着たりがつらかったです。 痛くて着替えを断る余裕はありませんでした。 着ているものなんてそのままでもよかったのになあ〜と思いました。 |
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