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プロフィール |
運動会のお弁当 | 2005/10/22 | ||||||||||||||||||
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あちこちで運動会まっさかり。春先にするところも多くなったけど、やっぱり運動会は秋空の下がよく映える。 運動会といえばお弁当である。最近は生徒は教室で食べるところもあるらしい。様々な事情で親御さんがこられない児童生徒への配慮らしいが、運動会の醍醐味は、なんたって外で食べるお弁当だよねぇ(^^; ということで、お弁当の話しを(^^) 小学校卒業までは伯母の家から学校に通っていたので、行事ごとのお弁当は伯母が作ってくれた。伯母は料理が得意なので、お弁当は楽しみだった。小3の遠足弁当は、今でもよく覚えている。細巻きの海苔巻きだったが、でんぶと卵焼きが具になっており、ピンク、黄色、白、黒と食材の色が鮮やかで、それはそれはきれいなお弁当だった。担任の先生からも褒められ、幼心にも嬉しかった。 さて、私が作った最高傑作のお弁当といえば、なんといってもアレである(^^; できたてが美味しいので、午前中の競技もそこそこに自宅に飛んで帰り、台所でゴソゴソ。材料さえ切ってあれば所要時間は30分ほど。運動会会場で作ることも不可能ではないけど、さすがにそこまではできなかった(^^; できたてのアレにアルミホイルで蓋をして、新聞紙で包んで風呂敷でくるむ。お皿とスプーンと、そうそうレモンも持たなきゃね(^^) 最高傑作のアレとは『パエリャ鍋ごと弁当』である。『鍋ごと』ってところがポイント高いでしょ? \(^o^)/ |
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バイト歴 | 2005/10/11 | ||||||||||||||||||
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ちょっと前にREBORNスタッフ間でバイト歴が話題になったんですが、書き出してみたら面白そうなので日記ネタにすることにしました(^^; 一番最初のバイトは、たしか高校1年だか2年だかの春休み。けっこう記憶が曖昧ですが春のお彼岸のときだと思います。近所の花屋のバイトだったんですけど、ここのおねーさんがやり手で(^^; 水盤にお花を生けて、それをもってあちこちのバーやスナックに売り込みにいくんですね。枯れたら次のアレンジを持ってきますよって。商魂たくましいなぁと舌を巻いたのを覚えています。 さて、次のバイトは高校3年の卒業前後、茨城の田舎から花のお江戸に出た話です(^^) 実のところ、実家は商売をしていたので、我が家はバイト禁止でした。よその家の仕事ができるのなら、家の仕事を手伝えというのが親の言い分。でも実家の仕事じゃたいしたバイト料くれないし、同じ家の中でお金を回すより、他からもらった方がいいじゃん!というのが私の言い分でした。親はいい顔をしませんでしたが、私も親の子ですから、おとなしく言うことは聞きません(^^; そこで、出かける前に夕飯の準備をしていくことを条件に、なんとか親の了解を取り付けました! バイト先は神田のパブレストランです。もう時効だからいいですよね(^^; 実は年を2歳サバ読んでいたんです(^^; あるとき、お客さんからいきなり干支を聞かれてしまいました。そこまでは押さえていなかったので、しどろもどろで誤魔化したのを覚えています。 仕事の内容は、オーダーをとってお酒や料理のお運びをして、そして水割りを作ります。この時の視力はすでに0.1を切ってましたが、コンタクトレンズを持っていなかったので裸眼で体当たり。水割りを作るのに、よく見えないんですよ(^^; こぼしたらイケナイから、じっと見つめながら水割りを作っていたら「今どき、こんなに真剣に水割りを作る子は珍しい」とお客さんにウケましたです。 私は「ふ〜ん、サラリーマンはこんなところでくだ巻いてストレス発散してるワケね」なんて思っていたんですけどね(^^; お衣装はボウタイの白ブラウスに銀ラメの入ったロングスカート。1か月半も化粧して仕事した日々というのは、生涯最初で最後の経験かもしれません。すくなくとも、いまんところはそうです(^^; さすがにお江戸ですから、お給料もよかったです。20数年前の時給1000円というのは破格値で、茨城ではあり得ない金額でした。1か月半で20万円近いお金を手にした私は、半分を北海道旅行に、残り半分を看護学校の学費の足しにしたのでありました。めでたし、めでたし(^^) |
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