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プロフィール |
妊娠日記 プロローグ | 2006/01/15 | ||||||||||||||||||
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「三宅の明日は、いったいいつ来るんだ?!」と思っていたみなさま、どうもお待ちどう様でした。いやぁ、日々の過ぎゆくのは早いもので(^^; さて、妊娠中の日記を紐解いてみることにいたしましょう(^^) 1989年3月いっぱいで病院を退職し、たしか4月は生まれて始めての海外旅行で香港にいったんだった。5月には一人で飛行機に乗ってスペインに行く予定だったから、その予行演習でしたね。女友達との2人旅は弥次喜多道中で、箸が転げても笑ってましたわ(^^;その彼女もすでに2児の母。一昨年は川越市長選挙に立候補してたりして、大いに驚きました。なんでいきなり市長選なんだ?、けーこちゃん!(^^; さてさて、香港のハナシに戻りましょ(^^; 思い出深いのはペニンシュラホテルのティーラウンジ。3泊4日の旅程中、5回もここでお茶していた私たちは何もの?!(^^; なんたって香港のツアー料理はエビカニオンパレード。エビカニアレルギーの三宅にとって、米国資本の黄色い『M』マークを見たときに「やったぁ、生きていける」と思ったんですけどね、そこにたどり着く前にペニンシュラのスコーンセットにハマってしまったのでありました(^^; ペニンシュラホテル、吹き抜けのティーラウンジでは2階部分に張り出しにバルコニーがあって、楽団が生演奏をしておりました。昼下がり、喫茶客もまばらなラウンジ。私たちは曲が終わるたびに、小さく拍手を送っておりました。そのうち手なんか振っちゃったりして... 楽団員も、バイオリンの弓を小さく振って返礼してくれました。だんだん調子にのった私は、小さな声で「リ〜ク〜エ〜スト!」と言ってみたのです。バイオリンの弓先は、○を描きました。それでは!ということで「AS TIME GOES BY !!!」と一言。そこから先は、しばし至福の時でした(*^^*) え...と(^^; 三宅はまだ妊娠しておりません。香港旅行は妊娠日記のプロローグってことで(^^; |
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謹賀新年 | 2006/01/03 | ||||||||||||||||||
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\(^o^)/あけまして おめでとう ございます\(^o^)/ 早いものでスタッフ日記をつけはじめてから1年がたちました。その間、ちゃんと日記だった時期もありますが、11月なんぞは月記(変換しなかった。当たり前か(^^;)になってしまいました。今年はせめてコンスタントに週記(これも変換しないって、しつこい?(^^;)くらいにはしていきたいものであります。 実は昔から、あんまり日記をつけるという習慣はありませんでした。唯一、日記らしいものをつけたのは妊娠中であります。これが面白い(^^; 笑えるのなんのって、その当時の自分に失礼か(^^; ノートは当時大好きだった「TAMA & FRIENDS」のTAMAのです。三宅、猫派なんですね(^^; 助産師学校の恩師(高橋百合子先生)に「三宅さんでも、そんなもの(キャラクター物)、持つのねぇ」と珍しがられましたが、ペンケースもパスケースもこのシリーズでした(^^; 「助産師にとって妊娠とは仕事の一部である」なんて思いこんでいた三宅は、日記をつけることで保健指導のマニュアルにしようとしていた節がありました(15年もたつと、すっかり他人事?!(^^;)。なにしろ2か月から始まるそれは、週数ごとの胎児の大きさと指導項目まで書いてあるのです。 妊娠ちょっと前に病院勤務をやめてスペインに転居するゴタゴタの時期でした。妊娠10週でアパートを引き払ったのですが、この時の引っ越しは伯父と伯母と弟と4人でしました。今みたいに「引っ越しお任せパック」なんてなかったですからねぇ(^^; たしか古河から越谷を2t車運転往復した記憶が(^^; 受け持ちの妊婦さんがこんなことしたら、雷落とすだろうなぁ(^^; ということで、妊娠日記の続きは、また明日にでも(^^; |
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