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新しい食卓と2月の仕事 2008/02/23

2〜3年間考えていた食卓の買い換え、ついに完了。春みたいな大風も吹いていて、いい土曜日です!

下の子の週末の宿題が「お掃除をすること」だったのも絶妙でした。朝、お掃除したいところを2人でリストアップして、ひとつずつつぶしながらカリモクの新しい机が我が家へおいでになるのを待ちました。お昼ごはんは新しい机で。どっしりした木で、落ち着く〜!

忙しくなればなるほど、家がちゃんとしていることがエネルギー源となることがわかります。新しい机に癒されつつ春もがんばろう・・・

2月はベビカムとの共同プロジェクト「産科医不足と妊婦健診をめぐる実感調査 1100人の妊婦・母親の声」の報道資料約20ページの作成を中心に動きました。
http://www.digiboutique.or.jp/pub/pdf/PR080201_SankaFusoku.pdf

All About 「出産医療・産院選び」の関連記事もかなりたくさんのアクセスがありました。
◆お産難民にならない方法
http://allabout.co.jp/children/birth/closeup/CU20080131A/index.htm
◆妊婦健診を受けない人の気持ち
http://allabout.co.jp/children/birth/closeup/CU20080207A/
◆35歳異常の羊水 本当は透明できれいです
http://allabout.co.jp/children/birth/closeup/CU20080208A/

助産雑誌の連載は、本邦初の欧米型バースセンター開設を今週に控えた済生会宇都宮病院を取材しました。病院の最上階に並ぶ広々としたLDR4部屋は、私が12年くらい前にシアトルで見たバースセンターとそっくりでした。専用のクラスルーム、診察室、当直室など妊娠から産後までに必要なすべての施設が助産師ユニット専用のものとなっています。これまでの院内助産院のイメージ「産科医不足の対抗策」をがらりと塗り替える未来指向の大型ミッドワイフリーサービスがいよいよ登場です。

NHK大阪「もっともっと関西」にスタジオ出演し、その足で関西取材もしました。六甲の亀田マタニティレディースクリニックには予想通りのゆるやかな自然出産時間が流れていました。最近新しいクリニックへ行くと、院長のコンセプトがはっきり現れていて、日本のお産の近未来を教えてもらえる感じがします。

大阪府立母子保健総合医療センターでは、今度小児救急の取材をするのでそのリサーチにご協力いただき、また英国にいらした先生からは英国のNICEというところで出している正常出産取り扱いガイドラインについて教えて頂きました。


桝添大臣と長野県飯田の1日 008/01/20

昨年11月から妊娠・育児サイト「ベビカム」とやってきた産科医不足実感アンケートがほぼまとまり、かねてより「医療砂漠をゆく」シリーズで取材を受けていた「読売ウィークリー」にデータを紹介してから、新宿駅西口の高速バス乗り場へ。

長野県飯田市で開かれた桝添厚労大臣と地域住民との対話の会に行ってきました。真っ暗な飯田駅におりたち、まずは飯田市民病院の山崎先生へごあいさつに。

一夜明け、朝は飯田市立病院の視察から始まりました。50人ほどの報道陣が待ちかまえる中、桝添さんのワゴンが到着ここでも、そしてそのあとの対話の会でも、桝添さんは産科医療の危機を重大な問題と受けとめている様子がありありとみえました。

対話の会では産科の問題を中心に、地域の関係者や一般人が次々に発言。印象的だったのは、最後にあった「臨床研修医制度から産科崩壊が始まった。元に戻して欲しい」という発言に対して、桝添さんは「とんでもない!日本でひどいのは銀行と病院。研修医でかろうじて保っているような、そんな病院にあなたたちはかかりたいですか」と語気を強めたことでした。

目先のことでいっぱいになるのが専門家というものですが、日本という単位でものを考えていく政治家ならではの視点を感じ、桝添さんは小泉改革の継承をしっかりやっていこう考えておられるのだと思いました。壊されたあとに草木も生えないような改革であってはならない、しかし改革は改革であるように、と。

それから、対話の場に長野を選んだのは、医師数に恵まれないのに先進的な予防医学があり、国内有数の健康県であることだそうです。「これからの医療は予防が大事」それなら、もう少し助産師を増やさないと!です、大臣!

飯田の1日。いろいろなことを考えましたが、今は桝添さんの、試合中のアスリートのような気迫が非常に印象に残っています。

この一泊の旅では、最後に伊那赤十字病院にも行きました。対話の会で妊婦さんの気持ちをしっかり伝えた「心あるお産を求める会」の皆さんに連れていっていただいたのです。ここは産科医一名でお産をほとんどやめていましたが、「どうしてもここで」という方だけを受けていました。心あるお産を求める会も署名をして院内助産院構想もあったのですが、立ち上がることにはなりませんでした。

その最後の医師がこの春去るので、お産がまったくなくなります。その最後のお産が、おたずねしたとき折しも陣痛のクライマックスのよう・・・産まれたあと、写真を撮らせて頂きました。

またひとつ、産み場所の灯火が消えてしまいました。

おひな様をしまうような寂しさです。

プロフェッショナルなあたたかい助産師さんが守っている病棟。最後のお母さんがこれから入り、そして一週間したら花束をもらって、そのあと病棟は多くがお年寄りの過ごす静かな毎日になるのでしょう。


産む人にできることって何だろう 2008/01/16

新年早々、仕事の立てこんでいる今月です。今年は、まともに生活して地に足の着いた落ち着いた日々にしたいということが目標なのですが、早くも危うし。

この連休前後は宝島社「インレッド」の取材でセックスレスをテーマに「となりの寝室事情」など数々の著書やネットワーク活動で知られる二松まゆみさんにお会いし、そして昨日は親子のスキンシップについてやはり多くの著書を持つ山口創氏にお会いしました。

親子のスキンシップと男女のスキンシップは基本構造は同じだろうと思いつつ今ひとつ確信が持てない感覚を残していた私ですが、山口氏の著書などを読むと社会生活を営む動物の進化の歴史によって愛撫の歴史が説かれています。そこには、世の中では相対するものとされている親子のスキンシップと男女のスキンシップが、なーんだ、ほとんど同じじゃないか、と思われるなかなか楽しい世界があります。もっと言えば、チンパンジーの毛づくろいと同じということになりますが。

奥多摩の入り口にある公立病院の院内助産院の取材にも行きました。今年は医学書院の専門誌「助産雑誌」で院内助産院を毎月訪ねる連載をします。

ここは、医師ひとりになってしまったことをきっかけに院内助産院が始まったのですが、その後に医師が2名赴任。そこで院内助産院がどのように残れるかというところで、助産師さんたちがんばっています。

助産師さんたち、本当にがんばっていました。でも決め手は、産んだ人の投書があいついだことだったそうです。院内助産院のフリースタイル出産や母乳育児ケアがとてもよかった・・・ふたりめも同じようにここで産みたいから、院内助産院をなくさないで、という声が病院のご意見ポストや市に届き続けたのだそうです。

投書を見せて頂いたとき、不覚にも泣きたくなりました。なんだか特別なうれしさでした。

上田市で取材をして、なかなか署名運動が実を結ばないことを見てきました。産む人にできることなんてあるのかな、とご本人たちも、そして応援したい私にも、そんな不安は大いにあるのです。でも、黙っていたら、やっぱり、そこでおしまいなのでは。結果が出なくても、言いたいことがあれば言うべきなのでは・・・

そんなことを考えながら、夜更け、上田市の取材をした「AERA with Baby」を校了にしました。