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稲村ヶ崎サンセット 2009/08/08

昨晩は夕方から1ヶ月ほど前に発売になった『なっとく出産応援事典』の打ち上げをしました。湘南鎌倉総合病院に勤務あるいはゆかりある人を産婦人科部長・井上裕美先生が作ってくれたチームは計五名。師長の長谷川充子さん、元・師長で現在は開業助産師の井本園江さん、元・勤務助産師で今は聖路加で教職に就いておられる小黒道子さんと私でした。

スタートはなんと4〜5年前のことでした。外来に待っている妊婦さんたちに素朴な質問を出して頂く作業からはじめ、とんでもなく多忙な人ばかりのチームは、長い間「本当にこの本は出るのだろうか」という月日を送りました。

みんな忙しくてもこだわりは捨てられないというところがある人ばかりで、「妊婦さんはもっとココが知りたいんじゃない?」「こういう言い方で決めつけになるから、もっとこうしようよ」というような話になったりもします。湘南鎌倉総合病院の医局に併設された図書室の一角で、いったい何度集まったことでしょう・・・。

しかし春秋社の美しき名編集者・篠田里香さんのご尽力により、ついにゴールインすることができました。今春卒業し、イラストとエディトリアルデザインの仕事に就いた娘に表紙と中のイラストを描かせていただいたのもありがたいことでした。共著である分客観視できると思いつつ言うのですが、これはかなりのお得な本だと思います。

井上先生が選んだお店は江ノ電・稲村ヶ崎駅からすぐ、海沿いのレストラン「サンディシュ」。荒れ荒れの海から吹き付ける潮風、そして分厚い雲の中にオレンジを溶かした江ノ島サンセット。

ああ、うれしかった。
本当にすばらしいチームでした。

今書いている本が難しい問題をたくさん扱っていてちょっと疲れ気味であった私でしたが、とってもいい気分転換になりました。夜おそく東京に戻り、24時間営業のドトールに寄って巨大なアイスソイラテを買って帰る。

そして朝まで、今度の本の続き・・・。

今度の本も、出たときのとびきりの喜びを楽しみに、がんばろう。


素材の山、山です 2009/06/25

ともかく取材、取材の春が過ぎ、夏を目前に素材の山の整形にかかっています。当初9月の刊行予定だったのですがさすがに間に合わず、少しだけ時間を伸ばしてもらいました。

今回インタビューさせていただいたのは医師が中心で、産婦人科、新生児科、麻酔科とさまざまです。助産師さんについては『助産師と産む』の情報に安全対策など今日的な話題をプラス。

現代における先進国のレベルで安全なお産を目指すことの大変さ、日本は何につまづいているのか。安全対策の影で起きていることも含め、お産の「安心と安全」について女性目線から取り組みます。

資料ファイルの見出しはこんな感じです。

周産期救急
緊急帝王切開
高齢出産
多胎妊娠
早産予防
胎児診断
超低出生体重児
長期入院
在宅療養
分娩料
女性医師
労働基準法

まだまだあるのですけれど・・・命にかかわるテーマが多いです。

お話の内容が皆さん大変な濃さでして、今回テープ起こしも人に頼まず、コツコツとやっています。


札幌と稚内の旅 2009/04/16

札幌で講演に呼んでいただいて、北海道のお産・新生児関係の方々ととても有意義な四日間を過ごしてきました。

まず札幌に着いて開業助産師の高室さん、札幌の周産期救急システムでコーディネーター第一号を務めた助産師さん・小川原さんとランチ。北大の農場を窓から望むそのお店はめちゃくちゃ居心地が良く、高室さんがシンガーとして活動するハウスでもあるそうです。

その後、札幌市の夜間休日診療所「WEST19」で、札幌の周産期救急システムの取材をさせていただきました。新聞ではわからなかった部分までお話を聞くと、本当によくできているシステムなので驚きました。このシステムの特徴は、連携のすばらしさです。

助産師さんが毎夕、搬送先の病院に一件ずつ電話をして搬送先となる「第1優先病院」「第2優先病院」を毎日決めます。これは「確実に搬送ができるシステムが絶対に必要」という気持ちのある札幌の関係者がつながり、根気強いコミュニケーション努力を続けたたまものなのです。

助産師さんはちょっとした心配の電話相談にも多数乗っています。これは、妊婦さんにも何ともうれしいし、救急外来へ軽症の妊婦さんが行かないための防波堤としても機能しています。

稚内は、初めて行きました。特急で札幌から5時間余り。雪の残る原野をずーっと走る目と突然小さな町が現れました。商店街にはロシア語がたくさん使われているし、利尻富士は間近に迫ってそびえ立っている稚内は、海を向いた町でした。ここの市立病院には、僻地医療に熱意を持つ本当に立派な産科の先生がおられました。

翌朝、ウミネコの大合唱で目がさめました。入院中の妊婦さんにインダヒュー。ここには、島や僻地から入院分娩に来る人がたくさんいます。切迫早産で入院している方にもお会いしましたが、距離が距離なので家族との面会はごく限られます。上のお子さんと増えない寂しさを聞いているうちに、私も、無性に、東京においてきた娘が恋しくなってしまいました。礼文から来ていたおかあさんの娘さんが、私の娘と同じ年頃でした。

私は12歳の娘と4日離れただけ。それでもこんなに切なくなってくるのに、ここで出産する人たちの中には、何週間も小さな子どもと離れる人がたくさんいるのです。薬で陣痛を誘発して早く産んで帰る人も少なくないと聞きましたが、私でもそうするだろうと思いました。

不便なところに住んでいる女性たちは多くを望んでいません。「病院はここしかないけれど、ここしかないというより、ここがあってよかったという気持ちでいっぱい」。

そのたったひとつの病院からは、一番近いNICUまで240q(東京−浜松間に相当)。

でも、そこには医師と女性の間にきずながありました。

貴重な経験させていただきました。海沿いの道を走っていく小さな空港から、1日たった一便の羽田行きに乗り込んで帰りました。