プロフィール 河合 蘭 公式サイト |
ママ受験生は大変 | 2010/03/15 | |||
先日の日記で産んだ女性が助産師になるということを書きましたが、それをやり遂げた方にインタビューをする機会がありました。ファン助産院のイメジェリークラスへ見学に来て頂いたこの方は、第一子を高齢出産で出産されたあと、看護師から助産師になりました。 受験勉強は、時間を作り出すことが本当に大変だったそうです。時間と、そして勉強する場所がない! これは、私も家で仕事をしている人間なのでありありと思い出されました。子どもが小さいとき、同居していた母が精神的に不安定になってきたとき、家にいるのは仕事で外に出ている時間の何倍も、何十倍も大変でした。 結局、誰かが家を引き受けてくれる隙間を見つけて「逃亡」します。ところが、逃亡する先がありません。カフェやファミレスを流浪したりしました。最初の本の『お産選びマニュアル』はかなりの部分をファミレスで、時々お店変えたり、気を遣いながら書きました。 助産師学校を受けるお母さんたちも同じ境遇です。夜は行くところがなくなって駅や街頭のベンチでも勉強したという彼女。日本は、なぜ大人を勉強させてくれるところがないのでしょう。非常に納得できないことに、図書館の本を読む以外の目的では座るべからず、と堂々と書いてある公立図書館まであります。 学生さんだって、勉強に集中できる場所がほしいはずです。学力低下というならば、世の中には勉強したくても勉強する環境がない人がたくさんいることに気がついて欲しいです。 もうひとつ言えば、日本の高等教育の学費はもうクレージーとしか言いようがありません。最も学費のかからない小・中学校の子どもたちや、私立はかけ離れて安い公立高校が無償化されていく「ばらまき」には、中学生の親ながら大きないらだちを感じます。 大学や専門学校のレベルでは、医師や助産師になる学校も含めて、学費のために夢を断念したり、退学したりする子たち、社会人たちがいることをどうして誰も何も言わないのでしょうか。高等教育が今の日本の生活を支えているのに、いまだに個人が勝手に欲しがる贅沢品とでも考えられているのでしょうか。 |
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上田市産院存続の責任 | 2010/03/14 | |||
『安全なお産、安心なお産』の内容を話してほしい、と長野県上田市の育児グループ「お産育児ままネットワーク パム」からお申し出をいただき、3月2日に行ってきました。上田市産院という「赤ちゃんにやさしい病院」が大学病院の医師引き上げにより閉院となりかけ、存続のための署名運動が起きたところです。 今回呼んでくださった方たちは、かつて、その署名運動の中心でがんばった女性たちです。上田のお産事情には、その後いろいろなことがありました。二次施設であった長野病院から昭和大学が産科医を引き上げると言うことが起き、上田の妊産婦さんは二次医療が近隣にないと言う不安に状態に陥っています。 その一方で、上田市産院は長野病院の隣接地に移転、新築が決まっています。これは上田市の署名運動として最大であったとともいわれる母親たちの運動が市政を動かした結果と考えられます。 ここで上田市産院が本当に発展するために、そして上田市産院で産む、産まないに関わらずこの地域のお産全体が二次、三次医療にも守られているという安全性を確保するために、今、署名運動のOB女性たちが動き続けています。 私が話しに行って上田以外の地域の事情や解決案、学会や国の雰囲気などを紹介することで新しい発想を起こしてもらえたら。そんな気持ちで行きました。とてもうれしいことに上田の開業の先生も来場してくださり、皆さんの手作りケーキや名産のりんごなど囲みながらのディスカッションタイムに、上田がおかれている現実についてわかりやすく伝えてくださいました。 上田には、これで5回目くらいでしょうか。定点取材なのか、ご縁なのか。 女性たちも本当に息長く、がんばっています。「産院を存続させた責任があるんです」パムの斉藤さんのこの言葉には、署名に関わった女性たちみんなの気持ちがよく表れていると思いました。 この日、助産師になることを本気で考えていることをカミングアウトしたお母さんがひとりいました。市民から産科医療の担い手を出していくことは絶対に大切です。 「あの時、ママたちが上田市産院を守ってくれた」と次世代から言われるようになるといいですね。私はきっとそうなると、上田の女性や医師の方々を信じています。 |
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