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東日本大震災を経て 2011/05/02

何てきれい、と思って見ていた白いギボウシ、今は若葉に見とれています。ただし、写真はまた違うギボウシ。「6月」という名前の葉の色がとても明るい品種です。

3.11 東日本大震災を経たゴールデンウィーク。あの冬の終わりの日々から、まだ心は離れません。私にとって震災は、私も多くの人と同じように、何か自分にできることはないかと探しましたし、今でも探し続けていますが、考えるほど自分の無力さがようくわかるという毎日でした。それで、ただただあの人にこの人を紹介するということをしたり、個人的な励ましメールを必死に書いたり・・・あとは泣いたり・・・で時を過ごしていました。ともかく雪崩のように落ちてくる現地の医療者からのメールやニュースに耐え、自分が立っているのがやっとだったという感じです。

それでも計画停電だけは自分もさなかにいて「気持ちが切実にわかる!」というところが確信できるのでせっせと取材し、All Aboutに記事を入れたり、この春から新しく始めた仕事であるNHKラジオの「ラジオビタミン」で停電下の分娩について岩手の方の体験や各地の医療者から聞き集めたエピソードをお伝えしました。

こんな時に、どんどん行政や企業と連携してプロジェクトを立ち上げていく人ってすごい。でも、人にはその人に与えられた役割があるのだと、少しずつ言い聞かせ少しずつ自分に与えられた役割に帰ってくることができました。まだ8割くらいかな、という感じではありますが。

電力不足は自分が現地にいることになるのでこれからも動き続けていくことができますし。放射性物質についても、少しずつ妊婦さんのための情報が出てきそうなので仕込み中です。

あとは、個人的に取材先やメールを書いた相手の方がうれしさを表現してくださったことが、なぜかなあと思うほどとても嬉しく感じられました。それから、私の家では、家族の絆は強くなったと思います。お互いを温め合おうと、前よりもそういうことを考えていると思います。

ラジオビタミンの村上信夫アナウンサーが書いた「元気のでてくることばたち!」という本に沢村貞子さんのことばがあります。「たったひとりだけ幸せにできた」という言葉なのですが、この言葉が今の私にはとても心に響く(この言葉はたくさんの活動にチャレンジしてきた沢村さんが晩年にご主人に対する気持ちを語った言葉です)。

スーパー堤防を信じ、先祖が住んではいけないと考えてきた所に町を築いてきた海辺の町。事故はないと信じられ、それで地域も潤うはずだった原子力発電所−−今回の震災は、こうした敗北の気づきでもあったと思います。

それは、どこかで自分がやってきたお産への問いかけに通じるような気もします。それを信じて、環がつながるその日を待ちたいと思います。

そして、身のほどをわきまえ、自分にいただけている役割を黙々とこなそうと思います。



子どもの巣立ちを初体験 2011/03/02

すごく寂しいことになるのか、それともうれしいことになるのか。大学卒業、就職直前の息子が自分でアパートを借りて独立するというので、それはどんな感じかしらとずっと前から考えていました。

それが、うれしさの方がずっと大きくて、ああ、よかった!と思っている今朝です。今朝は、とてもスペシャルな、フレッシュな気持ちで起きてきました。

引っ越し屋さんのトラックに、スカスカだった息子の荷物。ベッドとこたつ、3本のギターとあとは衣類やCD、本少々が彼の荷物です。ここから出発して、彼にはどんな人生が待っているのか、ただ真面目に前向きに生きていけばきっと大丈夫だからがんばって、と思うばかりです。

夕方にアパートをたずねると、おお、なかなか快適なところ。IHコンロひとつの小さな台所だけど、息子はわが家のご飯に欠かせない昆布、かつお、干し椎茸、みりんなどをすべて持っていってくれてそうしたものを使って自炊すると言ってくれました。そして早速、野菜たっぷりのおいしいうどんを作ってくれました。

夫も来て、親子3人でご飯。今は都内近郊の若者がなかなか家を出られずパラサイトが一般化している時代。息子の友人たちも就職時に家を出る人はほとんどいないそうです。その中でやってみたいと思い、資金もバイトで自己調達するというのですから私たちは大賛成でした。無理をすることはないけれど、自立をやってみたいというなら何よりです。

22歳の春。ひとり暮らしの寂しさと不便さは、大きく彼を成長させてくれることでしょう。

楽しい夕ご飯をして「じゃ、おやすみー」と帰ってきました。

息子が家にいなくなったというより、親子関係が新しくリニューアルされた感じ。

今まで、想像しただけで人知れずめそめそしてきた私でしたが・・・すがすがしい出発となり、本当によかったです。


からからの庭で 2010/01/21

高齢出産の新書をねばって書いていて、家にいる日々が続いています。

母を送ってわが家の庭を自分の庭と思うようになってから年が2周しました。あまり時間が使えないので本当に少しのことしかしていないのですが、それでも自分が植えたものの経年変化を楽しむことがこんなに深いこととは知りませんでした。

多くの草木は、本当にハロウィンのころにバッサリとその年のものを捨て、年が明けるころから次の春の準備を開始します。

ビギナーの私の悩みは、その枯れたものを、落ち葉のように落としてくれる落葉樹はいいんですけれど、からからの枯れ姿でずーっとそのまま残っている草花はどうすればいいのかしら。

まずは、写真の、こんなにカールが美しいギボウシの枯れ葉。きのう切ってしまいましたが、もったいなくて捨てられずデジカメを持ち出す始末です。

このあと、カラミンサというミントの立ち枯れにもはさみを入れましたが、すっかり枯れていて根本にはもう新しい緑も見えているのに、その茎にはミントの香りがたっぷり残っています。さすが。この花は庭でも蝶や蜂に圧倒的な人気を誇っていて、それはたくさんの命を支えていたのでした。

それでまたまた捨てられないのでした。それで、しかたがないのでからっぽの花瓶にさして見ていました。しかし。翌朝には、もうミントの香りはすっかり飛んでいました。不思議ですね。からからの茎にも、土と通い合う何かが流れていたことになります。

もうひとつ、立ち枯れには、その下にのぞいている新しい緑を霜や雪から守る役割があるかもしれないので切るのがちょっと心配。それで、切ったあとには腐葉土をまいてみることにします。