プロフィール 河合 蘭 公式サイト |
夏休みの生活 | 2011/08/05 | |||
先日、夫の夏休みを利用して私も仕事を一週間やめて、うち中の要らないものをかつてない深度で、やりました。断捨離です。 今年三十回忌になる父の蔵書を、本当に大切に感じていたものだけ少し残して売却、処分しました。父は日本文学の初版本のコレクターで直筆原稿なども持っていたのですが、私よりも価値のわかる人に持っていただけるならと思って売りました。 続いて、ロフトに分け入り納戸にも突入しました。いや、もともと一人っ子で今や親きょうだいのいない私には、何といろいろな過去が一身に背負わされていたことでしょう。さまざまなジャンルの古物商の方と関わり、いろいろな世界があるんだなあとちょっとした社会見学にもなった一週間でした。 息子が独り立ちして、続いて愛兎を失って、震災の影響もあってなんとなく鬱々としがちなこの春だったのですが、家の中に増えた「空間」からすごく力がもらえている感じがします。そこから新しい風が吹いてくる気がします ! 末娘は、この夏は高校受験。塾通いにお弁当を持って行きなさいと言ったら、みんなおにぎりしか持って来ないからいやだ〜と言います。そこで、いろいろなおにぎりを編み出すことにしました。今日は鮭と枝豆。その前は鳥の唐揚げや竜田揚げ。きんぴらごぼう。ついに、タマネギと鶏挽肉の入ったオムレツなども包んでみましたが、どーにかなりますな。最近はやや面白くなってしまっており、「お弁当箱ってもしかして要らないかも」などと思うに至っています。 でも、娘ぱかりがんばらせていないで、私もせっせと働かねば。先週末は恵比寿のガーデンプレイスで女性誌「FRAU」主催の「妊活ミーティングに行き、先ほど同イベントの関連サイトにレポート記事を入稿しました。 300人の妊活したい女性やパートナーが集結し「高齢出産になると妊娠率はこれくらい」などと医師の話を聞く様子はNHKの7時のニュースで流れたのでご覧になった方も多かったと思います。私には、なかなか感慨深いニュース画面でした。「あぁ、ここまでオープンに語られる時代が、ついに来たんだな」と。うれしかったです。 |
||||
うさぎさんのこと | 2011/06/12 | |||
わが家にはハッピーとという名のうさぎがいました。一番下の子と一緒に欲しくなってネットで探し、それはそれはうさぎのことがよくわかっているブリーダーさん(うさぎ屋さん)に会えたのでいただいてきた子でした。そのハッピーが、6月4日に息を引き取りました。 胸腺が大きくなってしまう胸腺腫という病気が昨年わかって療養中で、最近はもう一緒にいられる時間はそんなに長くないのかと思ってはいましたが、いざその身体が消えてしまうと本当にさびしいです。 この子を飼うまで、うさぎを飼うなんて、思ってもみませんでした。実は私は子どもの頃の夢は「獣医さん」でした。しかし10歳の頃に突然激しい犬猫アレルギーが出て、その夢は断念。以後ほ乳類はハムスターくらいしか飼っていなかったのですが、ふとうさぎを抱いてみたら、何ともなかったのです。 子うさぎが生まれたと聞いて見に行ったら、カゴの中にはおはぎみたいなのがいっぱいいましたが、ハッピーは7匹きょうだいの中で一匹だけ圧倒的に大きい巨大おはぎで、違う種類のようでした。他の子はみんな死んでしまいました。お母さんが育児放棄だったのです。 それでもブリーダーさんに人工乳でかわいがられて、生まれながらの体力もあったハッピーは、うちに来て昨年秋までは病気は何一つせず、元気に過ごしてくれました。 珍しいことらしいのですが、ハッピーは人に撫でられると撫でてくれた人をなめるという「なめうさぎ」でした。うさぎが人になつくことはほとんど知られていませんが、うさぎは犬や猫とはまったく違う形で人によくなつきます。ハッピーは身体の触れあいが好きなうさぎで、ふと寂しくなって走り寄ってくることがよくありました。 私が毎日ヨガをするようになると、ヨガマットを敷いた途端にピョーンとマットに飛び込み、ずっとじゃまをしてくれました。シャバアーサナ中にぴったりくっついているのが好きでした。 体調を崩してからは、特に撫でてあげることでなぐさめられているようでした。忙しくバタバタしている暮らしの中では、うさぎ時間を十分にとることができないことがつも心に引っかかっていました。それでも最後の夜にゆっくりと撫でてあげるとこができて、もう力がなくなった舌で何回もなめてくれたのが私には慰めです。 身体は何のためにあるのでしょう。意識が魂の本体ならば、身体は何のために。ハッピーの身体が消えて今ふと思うのは、身体は苦しみ痛むためにあるのではないかと思いました。それをいたわった私たちの苦しみは、今ハッピーとのより深い絆となっています。 苦しかった本人が楽になったことに安堵する気持ちと共に、身体があったから関われたことに気づき、ありがとう、という言葉になります。 また、お産に助産師さんが必要なように、このうさぎさんを飼った日々にはずっとおつきあいの続いたブリーダーさんの存在がありました。それがまた感謝です。 そのショップに挨拶に行きました。偶然なことに、そのお店の看板犬のわんちゃんも亡くなっていたので花かごを持って。12歳だったそうです。その小さなうさぎ屋さんは、その犬の写真と、お客さんからのたくさんのお花でいっぱいでした。「写真はいいんですよ。写真をいると、まだいるような気がして、心の痛みがやわらぐから」といいことを教えてもらいました。 一緒に行けなかったのですが、ハッピーが来たときに小学2年生で、今は中3になった娘の手紙を渡すととても喜んでくださいました。 娘と一緒に大きくなり、うちで生涯を過ごしてくれた一匹のうさぎさん。息をひきとったのも、娘が中学で一番がんばった陸上競技の最後のレースを走り終えた、まさにその時刻でした。一緒に育って、とても仲良しでした。 今までも、そして心の中ではいつまでも、うちの大事な家族です。 |
||||