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「科学ジャーナリスト賞2016」をいただきました | 2016/04/22 | |||
この度、昨年春に出した『出生前診断−出産ジャーナリストが見つめた現状と未来』が日本科学技術ジャーナリスト会議から「科学ジャーナリスト賞2016」という非常にありがたい賞をいただきました。 歴代の受賞者や審査員の方たちのそうそうたる顔ぶれを拝見すると、いまだに信じられないという思いです。NHKの科学報道番組や大手新聞社の受賞作が居並ぶ中で、フリーランサーの本が認めていただけたことに、まず驚きました。出産に関する仕事がいただいたのも、初めてではないかと思います。 この本は、私か書いた本の中で最も切なく、悔しくて、でも一番温かい思い出も残っている一冊です。お話が来た時には「そんな、難しいテーマの本は書けない」と思ったのですが、今は、あの時に挑戦して本当によかったと思っています。 はじめの取材のことは、きのうのことのように生々しく私の心に残っています。初めての取材は長崎大学でおこなわれた夏休みの子どものための遺伝教室でした。私は、これについては本のあとがきにしか書いていないのですが、山と海、出島、そして原爆の遺構や長大など、長崎は、命の科学である出生前診断の主要なテーマがすべてそこに具現化されて在る舞台装置のように私には思われました。 そして二度目の取材が、福岡県の太宰府に、日本における羊水検査の草分けである斎藤仲道先生をおたずねし、斎藤家の古い柱時計の音を何度も何度も聞きながら長い悩みの物語をお聞きしたインタビューでした。医師も、こんなに苦しんでいたのか。太宰府天満宮の梅が、まさに咲き始めた頃でした。斎藤先生は、名物の梅ヶ枝餅を買ってくださっていて、それを温めて出してくださいました。 斎藤先生を知ったのは、当時、問題になっていた着床前スクリーニングの臨床試験開始をめぐる学会主催シンポジウムの会場でした。会場から発言した斎藤先生の話に何故か強く他の医師にはない視点を感じた私は、会が終わった時、人混みの中で斎藤先生を追いかけました。その後、斎藤先生が送ってくださった資料を開けて私はあっと驚きました。私はそこで初めて、自分は米国で羊水検査の黎明期に立ち会った人に出会うことができたのだと知りました。 そして最後の取材は、実際の医療施設で出会ったあるご夫婦の涙でした。何と悲しいものを人間は作り出してしまうのか。出生前診断を安易に命の選別だと非難するのは簡単ですが、そこには人間がいないと思います。いかように理屈を言ってみても、一皮むけば矛盾に満ちた悲しい存在である人間が。私の取材は、その悲しい存在である人間が、いつしか、愚かであるからこそ愛しい存在だと思うようになって終わりました。 フリーランサーの取材というものは経費も自腹であることが多いし、語り合える同僚もいない天涯孤独なものです。でも、こうして思い出してみると、よいことは、自分の純粋な直感に従って動くことができるということでしょう。そうやって会う人、会う人に次々と惚れ込んでいくうちに本は形が見えてきます。非論理的なものは、合わさって、いつしか論理を織り始めます。 ただ、どんな形で活動していても、人の心に何かを伝えることができるジャーナリストであれば、ひとりの人間として仕事をしているのではないかとも思います。賞をいただいた時、すぐにメールを下さった方の中に前年度の大賞受賞者である毎日新聞の須田桃子さんがいました。今年の大賞受賞者の阿部豊さんを須田さんが取材していらしたので、その記事を読みました、と私が書き送ったところ、須田さんは作夏のその取材への想いについて返信してこられました。阿部豊さんはALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症され、3年間かけて執筆されたと受賞された著書『生命の星の条件を探る』にあります。 なんでもないことですが、それで私は、やはり取材者は立場は違えど、やはり情景のようなものに反応し、人への想いをたくさん使って仕事をしているのだと思いました。科学ジャーナリストとは、科学と人のジャーナリズム。 立派な方たちと共にいただいたこの賞の名に恥じないように、これからもものを書いていきたいと思います。 『出生前診断−出産ジャーナリストが見つめた現状と未来』を書くためにお力を貸してくださった方たちに改めて、心よりお礼を申し上げます。 科学ジャーナリズム賞 http://jastj.jp/ |
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川鰭先生の「卒業」 | 2016/04/01 | |||
今日は4月1日。今日は岐阜もさくらが満開のことでしょう。ただ今日から長良医療センターには川鰭先生はいません。でも、今朝も、長良の先生たちは着席してスタッフの方たちの詳しい朝の申し送りを共有していらっしゃると思います。これも川鰭市郎先生の、水面下でのこだわりのひとつでした。 自分がいなくなっても、病院からなくなるものは何もない。そんな病院をつくることができてとても満足だと川鰭先生はおっしゃっていました。 病棟のお母さんたちとの接触も少しずつ小さくしてきたそうです。笑顔がたくさんの病棟に湿ったものは持ち込みたくないと配慮をされたのだと思いました。そして先生ご自身も、いつもの明るい長良から卒業していきたかったのだと。 きのう私がupした写真は川鰭先生の最後の帝王切開でした。松波総合病院での新しい形のお仕事でも、ひとりでも多くの赤ちゃんを救う、人間的な周産期医療をさらに深めてくださると思います。 |
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2016/03/31
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